あなたが自分の物語を生きるのを阻むもの、あなたの人生の時間を奪うものは、世の中にも、あなた自身の中にもたくさんあります
「だから私はダメなんだ」という考え方はそのひとつ
「人生」という物語には、
「出来事」の部分と「解釈」の部分がある
「好きな人と結ばれた」「目標としていた学校に入れた」「希望していた仕事に就いた」「仕事で大きな成果を出した」というのは、いずれも出来事にあたるが、これらの出来事は、解釈次第で価値が大きく変わる
たとえば「内閣府に入りたい」と考え、一生懸命努力して、見事採用されたとします
多くの人は、これを「努力が報われた、幸せな出来事」と解釈して、人生の物語における成功体験、輝かしいエピソードとして位置づける
ところが、世の中には、このような出来事さえ、「たまたま内閣府にもぐりこめて、一時的には嬉しかったけど、そこで出会った人たちは、自分なんかよりもはるかに優秀な人ばかりで、努力しても追いつけず、劣等感にさいなまれるばかりだった。だから自分はダメなんだ。内閣府なんて、むしろ入らなければよかった」とネガティブに解釈してしまう人がいる
血のにじむような努力をし、それが報われても、なかなか自分を認めることができないことがある
その結果、どんなに素晴らしい出来事も、それにネガティブな解釈をすることによって、主観的な価値はゼロになりえる
積み重ねた努力が、あたかも無かったかのように感じてしまう
コツコツと足し算で積み重ねたものに、最後に「ゼロを掛け算」するようなもの
より良い方向を目指して発揮された努力は、それだけで尊く、賞賛に値する
ただ、それを自分自身で認めることができないのは悲しいことです
例え良い結果につながらなかったとしても、
「あれだけ頑張った事が、自分の糧になっている」
「あれだけ頑張ったから、今の自分がある」
「あれだけ頑張った自分を褒めてあげたい」
と思えるなら、その努力には大きな意味があり、決して無駄ではなくなります
しかし、「自分を認める」ことができないままだと、どれほど努力を重ねても、自分を肯定できないどころか、むしろ「あれだけ頑張ったのに、まだこの程度だなんて、だから自分はダメなんだ」と、自己評価がさらに下がってしまいかねない
そのようなネガティブな解釈は、あなたの人生を幸せから遠ざけるものであるからこそ、手放すべきものだと、私は思うわけです
素晴らしい出来事にも努力にも実績にも、解釈のところで必ずネガティブな意味づけをして、「すべては自分がダメなせいだ」「だから私はダメなんだ」という結論に持っていき、自分の人生の物語をひどいものにしてしまうからこそ、生きるのを阻むもの、と呼んでいます
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真島(ましま)
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真島 拓実の写メ日記
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だから私はダメなんだ病真島 拓実