使い捨ての駒なのか、使えるの駒なのか?
どこに居てもどんな生き方をしていても
必ず何かしらを動かす歯車の様な存在
になっている、無意識に役割をこなしてる
どんな役割なのか知っている者は少ない
そもそも与えられる事さえ気がつかない
何故か考えた事はあるだろうか?
大体の者は目まぐるしい時間の変化と
変わりゆく景色を目前についていけない
だが必死に流れについて行こうとするのが
我々、生き物なわけだ
流れについていこうとする作業とは
必要な作業であり後に切り離す必要がある
全てじゃなくてもいい、ある程度を
コントロールしなくては何も描けないものだ
我々は属しているが、独立した形態でいる
つまり一個体を一個体自身がクロッシング
しなければ本来はならない、忘れてないか?
だれしも始まりは最弱の姿
それでも
攻防しない先に求めたはずの未来はなく
攻防しない限り全ての選択はいつか後悔する
僕はそうなりたくない
じゃーな
槙島 蒼司の写メ日記
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最弱のクロッシング攻防槙島 蒼司