僕は千葉県に生まれ、
神奈川→東京→茨城→東京と
要するに関東圏で人生を
送ってきました。
そんな僕に
静岡への転居を伴う
異動が命じられたのは
30歳のころ。
初の関東外への転勤は
物件探しから
車の手配まで
今までとは
勝手が違いすぎて
それはそれは大変でした。
転居は
今まで何度も
行ってきたはずなのに
初めてのことが多すぎて
不安で戸惑う日々を
過ごしました。
中でも一番大変だったのが
メンタルの調整です。
ぶっちゃけていえば
この転勤、
僕は超絶嫌でした。
何度も会社を辞めようと
おもったくらいですし
実際に辞めようと
していました。
確かに僕は
休日に誰かと遊ぶよりは
一人で家で読書や
ゲームをしているのを
好む人間で、
当時も一人で過ごす
ことが多かったです。
しかし、
それでも交流のある
友人は少ないながらも
存在していましたし、
やっぱり、
近くにいる友人知人に
あえて会わないのと、
周りに本当に知り合いが
誰もいないのは
全くの別物です。
そして初めての
車社会で、
今まで取得してから
ずっと眠らせていた
ペーパー免許で
毎日運転をするのも、
静岡という
何にも知らない
何があるかもわからない
ド田舎で過ごすのも、
その他諸々すべてが
ネガティブ要素しかなく、
行きたい理由が一つも
ありませんでした。
丁度、友達が数人会社に
誘ってくれていましたので
あの時その誘いに
乗っていたら
今はまた違う人生が
あったのかもしれません。
そんな僕が転勤を
前向きに考えられたのは
僕と同じように
何度かの転勤をしていた
20歳くらい年上の
先輩の言葉です。
どうも僕が静岡に
転勤になったことを
聞きつけたらしく
ある日僕を呼び出して、
僕が転勤に前向きでは
ないことを知ると
「静岡はな、いいところだぞ」
「会社が全部費用を負担してくれて
新しい環境に飛び込めるチャンスなんて
人生で何度もあるものじゃないんだよ」
「新しい土地にいったらな。
その土地にしかないもの、
その土地でしかできないことが
たくさんあるんだ」
「そういうものをこの機会に
めいっぱい楽しんでくるんだよ」
…と、そんな話をしてくれました。
転居に際しては
いろんな方が
いろんな話を
僕にしてくれましたが、
この先輩の言葉は
誰よりも響きましたし
今でも覚えています。
決してそれで
不満がすぐに
全部消えたわけでは
まったくなかったけれど
生活とメンタルが
落ち着くまでにも
随分と時間がかかったけれど、
それでも最終的には
僕の静岡ライフは
この先輩が教えてくれたとおり、
静岡にあるものを
めいっぱい楽しんで、
沢山の経験と思い出が残る
素晴らしいものに
なったと思います。
最終的には
東京大好きだった僕が
「静岡超最高です!」
…と、しっかり
洗脳されて帰って来たあげくに
狩猟免許まで取得してくるなんて、
当時は想像も
つきませんでした。
今でもごくたまに先輩とは
懇親会などの飲みの席で
顔をあわせますが、
未だにに会う度に
しつこくしつこくお礼を
伝えています。
洋介の写メ日記
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知らない土地に引っ越すのが超嫌だった話 洋介洋介