ただ長い文章を読んでいたい、そう思うことがたまにある。
もちろんただ長いだけではいけない、だが意味は必要ない。小気味良い無駄話のような言葉を、軟水のように品のある無色の情報を、AIに生成できない幽霊を、ただ頭に流し込んでいたいのだ。それは捏造された思い出のように脳髄を犯し、意識をはるか頭上へと運び、月明かりへと向けて甲斐々々しく宙に浮かばせつづける。
デフラグされたら消えてしまうほどに、弱く揺れながら。
歌うように、呟くように。
交響楽団における上腕のように、宝石箱にしまっておいた小石を丁寧に机上へ並べるように、満点の星空に線を引いて神代を想うように、最高の1日の最後にベッドで眠りにつく時間のように、
それは綻びながら加速する。
100m先で行われるドミノ倒しのように、
ゴールを目前に転びかけたマラソンランナーのような姿勢で、窓のない部屋の中を駆け回る。その軌道には乾いた石畳を割るような、鍵盤を弾くような確かな感触があって、咬筋がつい震えるような稜角があって、息を吸い込むことが増えて、声になりそこなった言葉は脊髄に霧散する。希望を冒涜する未完成の詩のように。
ただ歌を聞きたかっただけなのかもしれない。
詩と歌とは曖昧で、内か外か、私か君か、区別をしないのなら、同じ澄んだ言葉だ。
だが、やはりそれらは文章ではない。
言葉を閉じ込める容器でしかなかったはずの文字が、言葉を惑わして、揺らす。
文章。
SL-1200の落とした針が、手織りの布が、今日の天気が、つまり命だけが拾い上げることのできる揺らぎが、台風の翌日のあの川のように無慈悲に流れる文字の中に発生する瞬間をいつも待っているから、
だから、
ただ長い文章を読んでいたい、そう思うことがたまにある。
瀬戸口めぐるの写メ日記
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ただ長い文章を読んでいたい、そう思うことがたまにある瀬戸口めぐる