どうも、めぐるです。
みなさんは性感中に「恥ずかしい」という感情を抱いたことはあるでしょうか
もちろんある! という人が多いかもしれませんが……
全くではないものの「最中はあまり気にならない」という方もいます
それは決して開き直っているから、という話ではなく、快楽に集中できている証拠なのではないかと思います
本当に快楽に集中できていれば、自分が側から見て今どんな姿をしているのかなんて気になりませんよね
……もちろんここで「恥ずかしさがあってはいけない」と結論づけるつもりは毛頭ありません
互いの恥ずかしさを擦り合わせ、溶かし合い、寄り添うような湿った空気感でじっくりと行為を進めていくのもまた趣きがあります
また、被虐的な嗜好のある人にとって羞恥心とはすなわち強みでもあり、興奮の起爆剤になります
なんにせよ恥ずかしいと感じるのはまぁ当然といえは当然のことですし、それを楽しめるくらいの余裕があれば良いですよね
ですが、もし羞恥心が大きすぎてストレスや不安材料となってしまうようなら……
やはりなるべく無い方が良いのかもしれません
(もちろん言うまでもなく、こういった諸々のストレスを可能な限りなくすように努めるのが我々の仕事であり、義務なんですが……)
それでは、そのような強い羞恥心とはいったいどこから生じるのでしょうか?
その昔、ルースベネディクトという有名な文化人類学者は自身の「菊と刀」という著作(エアプ文化論のため賛否両論)において、日本に根付く恥の文化の存在を提唱しました
いわく、自己の罪の意識と生きる西洋人に対して、集団生活に馴染む日本人(古典特有の主語デカ)は恥という感情によって自省を行う特有の文化があるのだそうです
多様化が進む現代日本において日本人全員にこの説を当てはめようとすると、やや苦しいですが……
僕と同じくらいの世代の方や、地方出身の方ですと、ちょっとくらい心当たりがあるのではないでしょうか
村社会の集団行動になんとかついていき、周りに価値観を合わせて生きることを「学習」して大人になってしまった人にとって、
ときに「恥」は自身の判断の中核を成す存在として刷り込まれているのかもしれません
加えて、そんな「見られている意識の強い」人は、ある意味では常に周囲に気を遣っているような状態でもあり、常に脳の負担を強いられています
そんな人が初対面の他人を前にして、緊張や羞恥心を捨てられるかというと……難しいですよね
(初対面の方がかえって楽ということも有り得ますが)
もしこのような刷り込みが個人の技術的なレベルでは解決できないほど深刻な場合、
心を許せる相手を見つけ、相性を育てていくしかないのかもしれません
みなさんがそれぞれの良い相手と巡り会えるようお祈りしております
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