【純文学って、何】- 瀬戸口めぐる(amen)- 性感マッサージ

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瀬戸口めぐるの写メ日記

瀬戸口めぐる

瀬戸口めぐる  (30)

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  • 純文学って、何
    瀬戸口めぐる
    純文学って、何

    どうも、ライト文学青年めぐるです。







    好きな本を聞かれるたびにチラッと純文学も読みますよ、と話している僕ですが





    最近になってようやく、



    「ハマったら社不になりそう」

    「純文学読むほど暇じゃない」

    「金持ち息子の自虐風自慢でしょ」



    などと言われ



    世の中の多数派の人に純文学はウケないんだ……




    という悲しい事実に気づいてしまいました。












    ならば世間が純文学を好きになれよ!!と、思い










    今回は







    「そもそも純文学って、何」








    という定義不可能なテーマを





    100%僕の独断と主観で語っていきたいと思います。








    以下、なんとなくnote文体になります。



    ————————




    結論から言えば、純文学とは極めて正確な幻覚である。








    例えば目の前に勢いよく流れ続ける滝壺の映像があったとする。






    純文学作品を読み進めていくうち、この映像に何が起こるかというと


    その滝壺にいきなりカメラが近づき、


    重力に逆らって飛び散る細かい水飛沫の軌跡や、その冷たさ、その耳を塞ぎたくなる轟音が聞こえてくる。


    かと思えば今度は滝壺の隣にある茂みの中の、枝先に乗った小鳥の目の色や、鮮やかな羽の色彩が目に飛び込む。


    その鳥は川魚を咥えると、空へ飛び去っていく。


    そういうことを人間だとか、人間社会に向けて行う。それが純文学である。


    その光景は現実のどこかにあるかもしれないし、ないかもしれないが、それを読む人間の頭には確かな質感を持って(たとえ誰が読んでも)鮮やかに現れる。





    ではよく言われるように、純文学に意味はないのか。







    意味はある。







    どんな風景でも、作者はその風景を選んで切り取って書いているから。


    たとえ人々の淡い交わりであっても、作者はそれを主題に選んでいるから。











    しかし、なくても良い。






    純文学は意味に依存しない。








    幻覚を見たい人間が、実用的なアイデアや仕事での成功を望まず「ただ純粋に幻覚を見たい」と願うように、純文学はただ我々の生きるこの世界から材料をかき集めて、幻覚を作る。




    だが純文学には、LSDやマジックマッシュームの与えるような強制的な神経刺激はない。






    それは、純文学の呼び起こす幻覚が、全て読者の内面からゆっくりと湧き上がるものだからだ。






    画像編集ソフトのフィルターのつまみを右端まで一気に引っ張るみたいに、

    これまで読者の培ってきた喜び、悲しみ、知識、ある風景、ある体験。



    それらの、本来あるべき色を思い出させる。






    歪ませることなく、純粋に。






    結論を言おう。







    純文学とは、極めて正確な幻覚である。






    それに触れることは「体験」であり、






    音楽を聴くことよりも、ライブに行くことに近く





    知識を得るよりも冒険をすることに近い。








    いつかのある日






    それまで読書に興味がなかったあなたが





    不意に純文学を手に取ることを、祈っています。









    ————————


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