宿題を持ち帰ってから、はや2ヶ月くらい経ってますね。
※「宿題ってなに?」となる方はX(旧Twitter)かLINEにてお問い合わせくださいませ(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)
で、甘々の定義はともかく、『何度でも欲しくなる丁寧な甘さ』を売りにしたのは、「とみーの中の人がそうだから」…かしら。
まず、みなさんはご存知かと思うのですけれど、「とみー」には「中の人」がいるんですよね。で、その2つが乖離しすぎていると、中の人が…
"とみー"を演るのしんどい!!
そもそも"とみー"って何だよ?
"とみー"ってセラピっぽくなさすぎるんだよ!
名前から格好つかないし、よくわかんねぇよ!
…ってなるんですよ。だから中の人に一番近いセラピを作り上げました。
じゃあ「とみーの中の人ってどんな人?」となるんですけれど、中の人は女の子が好きで、女の子に「甘く」接するのが好き。それが私にとっての「とみー」かしら。
ただここで言う『女の子』というのは年齢とか、容姿とか、職業とかそういうことじゃなくて、私の言う『女の子』というのはそもそも概念なのかも…とも思ったり。
笑ったり、はしゃいだり、感動したり、泣いたり、怒ったり、悩んだり、おしゃれしたり、美味しそうに食べたり、旅をしたり、歌ったり、恋をしたり、そういう人。
でも、それって意外と出来ない人もいるんだなぁと思っていて、「こうあるべき」みたいな考えを持っている─バックグラウンドとして持たされてしまった─かたも結構いるのよね。
※「私、持たされてしまった人かも…」という方がいたら安心して欲しい。あなたが思ってるより多いから全然大丈夫!!
そうやって、自分のしたいことを出来ず、自分の言いたいことを言えず、自分の思いを表現出来ず、とっても窮屈で生きづらかったと思う。(私にとってもそうだったし)
だから私は、もう少し自分を表現してもいいんじゃないかしら?と思っていて。
「自分を表現」ってそんな事を言われてもいきなりは難しいかもしれないし、どう表現していいのか分からないよね。じゃあ、まずは少しだけ自分を甘やかすところから始めるのもいいんじゃないかしら?
もっと自由でいいんじゃない?
好きな言葉を使っていいんじゃない?
好きな物を食べて、好きな物を飲んで、好きな服を着て、好きな映画を観て、好きな音楽を聴いて、好きな歌を歌って、好きな本を読んでいいんじゃない?
そういう自己表現を少しずつしていけると、「自分のしたいとをしていいんだ」になっていくだろうし、そこから「わたしのなりたいわたし」に向かっていってもいいんじゃない?
そういうきっかけとなるコンテンツもありなんじゃない?
私は「わたし」を肯定する。まだフラついていたとしても「わたし」を肯定する。そういう甘さを、何度でも提供する。
「なぜ甘々なの?」と聞かれたならば、「わたしのなりたいわたし」が『何度でも欲しくなる、丁寧な甘さ』のとみーだから…なのかも知れない( ’灬’ )
とみーの写メ日記
-
甘々…※長文とみー