三流って聞いて、どう思う?
バカにされる響きだよね。
器用じゃない、結果も出てない、才能もパッとしない。
そんなレッテル。
でもさ、「熱い三流」って言葉には、なんか妙にそそられるものがある。
少なくとも私は、冷めた一流よりずっと好きだと思う。
世の中には“上手くやる人”と“本気でやる人”がいて、前者は計算高くて効率的。
評価されるのもそっち。
でも、後者のほうが見てて心動かされるのは事実。
本気って、どうしたって不器用になる。
がむしゃらに手を伸ばして、届かなくて、転んで、でもまた立ち上がって…って、その繰り返し。
それが三流の本質。
うまくできないことを恥じずに、熱さだけでぶつかる。
滑稽だけど、強い。
そんな人間、バカにできる?
むしろ今の時代、みんな賢くなりすぎなんだよね。
正解ばっかり求めて、間違える前に諦める癖がついてる。
失敗はコスパ悪い、努力はダサい、熱意は重い。
そんな空気が蔓延してる。
でもさ、そうやって「無難」っていう檻に閉じこもって、冷笑と皮肉で武装したって、心は満たされないでしょ。
冷静ぶってるだけじゃ、何も動かない。
「どうせ三流なんで」って、自虐して逃げる人も多いけど、そうじゃないの。
問題は三流かどうかじゃなくて、“熱いかどうか”なんだよ。
結果を出せないうちは誰だって三流。
でもその中で火を絶やさない人は、いずれ一流になるチャンスを持つ。
逆に、最初から器用にやってた人ほど、途中で燃え尽きてく。
熱くない一流は、結局、ただの記号みたいなもん。
表面的に凄そうに見えるだけで、中身がない。
あとさ、三流だからこそできることって、あるんだよ。
完成してないから、まだ伸びしろがある。
失うものが少ないから、思い切った挑戦ができる。
完璧じゃないからこそ、人の痛みに気づけるし、寄り添える。
そういう人間って、案外、誰かの背中を一番強く押せたりするんだよね。
私?
正直、自分が一流だなんて思ったこと一度もないよ。
でも、それでいいと思ってる。
少なくとも、ぬるく生きてはいない。
何かをやると決めたときは、毎回、全力で突っ込んでる。
無様でも、バカにされても、痛い目見ても、それが生きてるってことでしょ。
冷めた目で他人を評価するより、自分の手を汚してもがく方が、私は好き。
だから、熱い三流なら上等よ。
胸張っていい。
なまぬるい優等生より、ずっと面白いし、ずっと美しい。
最後に勝つのが誰かなんて、今わかるわけないじゃん。
なら、今はただ熱くなっとけ。
それができる人間は、負けてない。
むしろ、未来に勝ちを取りにいける側だよ。
…って、ここまで言っても「でも結果がすべてでしょ?」って顔する人いるよね。
あーはいはい、わかったよ。
でもさ、その「すべての結果」ってやつ、いつ誰が決めたの?って話。
人の価値なんて、ゴールしたときにしか決まらない。
だから途中経過が三流だろうが泥臭かろうが、走ってる最中の熱は、嘘つかないよ。
冷めた評価ばっかり気にして立ち止まってるくらいなら、不格好でも走り続けた方がマシ。
そういう人間を、私は本気でかっこいいと思うし、もし誰かが「自分は三流かも…」って落ち込んでるなら、言ってやりたい。
「あんたが本気なら、それ、上等だよ」ってね。
洋平の写メ日記
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熱い三流なら上等よ洋平