劣等感は無自覚なフィルターであり、コンプレックスである。
俺はお前よりすごい、をされてる気がする時は
私か、あなたか、または両方が
その劣等感の支配下に置かれている。
劣等感とは、優れているか優れていないか。
優劣をつけ安心したいのか。
勝ち誇りたいのか。
それとも
負けを認めて、何もしない自分を責めて努力したつもりになりたいのか。
どちらにせよ、そこに自分は無く
誰かとの対比によって浮き彫りになったコンプレックスがそこにあるだけだ。
コンプレックスは人を形作るが、
コンプレックスだけが原動力や個性ではない。
手離して、自分のペースでやればいい。
それはどこかで自分の器を決定してしまうけれど、
それでいいだろう。
大した事ある人間なんていないさ。
頑張ってる自分を認めてほしい子供がそこにいるだけ。
そして、みんな子供になりたいときはあるものだ。
その裏で強がって受け入れる人ほど、そんな子供が羨ましいものだ。
劣等感の支配下に置かれてどうしたいのか。
劣等感から自由になれたらどうしたいのか。
劣等感を持たぬ孤独をどう招き入れるのか。
そういう無自覚なフィルターを自覚して、
少しでも思いやれたらいいね。
BIDANの写メ日記
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劣等感フィルターBIDAN