最近では性的な嗜好の意味を持たずしても
「私って結構ドMだから〜」
とか
「俺ってドSな女に惹かれるんだよね」
と言ったように日常会話として
SとMという言葉が使われるようになりました。
ほんの一昔前までは、こういったことを表立って言うことがはばかられていたように思います。
というのも、SかMかということの話題が全て性的なこと、つまりセックスにまつわることであると暗黙の了解で広まっていたからです。
ところが最近では、「見た目や立場が強い男に惹かれることをM」であるとか、反対に「少しばかり強めのリード心を持って恋人を引っ張ることをS」と表現しているように思います。
つまり性的な話題ではなく「人格(パーソナリティ)」についての話題へと変わっていったのであります。
そもそもSadismとは、17世紀のフランスの小説家マルキ・ド・サドに由来します。
彼の作品に加虐を性的快楽と捉えた1種の性的倒錯をモチーフとした作品が多かったことから名付けられました。
対してMasochismは、18世紀のオーストリアの小説家ザッヘル=マゾッホの名前に由来しています。彼は自伝的な作品で自身の被虐性愛などを描いていました。
長く心理学の歴史では、このサディズムとマゾヒズムをただの「性的倒錯」として捉えるか、あるいは「パーソナリティ」として捉えるかが常に議論されていました。
この辺の詳しい話はまたいつかするとして、
個人的には、性的な事に限らず「パーソナリティ」であるとする線を推しています。
その人が持つ本来のその人らしさ、
それこそがsadismでありmasochismであるとする考え方です。
よって、昨今の性的なことに限らず人格そのものをSとするかMとするか、といった話題の流れは大変喜ばしいものだと感じています。
さて、セラピストらしく性的なことに視点を向けると
僕の考え方だと人格そのものをSだMだと捉えるので、プレイの時に例えばMがパートナーを責めたっていいんです。その責めている時の心が、パートナーに対する「服従」であるのならば。逆もまた然りです。
通り一辺倒に
「私はMだから受け身でいなきゃ!」
ということはありません。
色々な形で、自分の人格と向き合って
様々なアウトプットの形として
プレイの幅を広げれば宜しいかと思います。
そのアウトプットの一助に
雅がなれれば幸いです。
雅の写メ日記
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嗜好(タバコは嗜好品と言う割に税金がエグい)雅