数年前から
「自己肯定感」
という言葉をやたら聞くようになりました。
この自己肯定感
どういう事なのかよく分からないので
調べてみたところ
日本セルフエスティーム普及協会
さんのHPにわかりやすく書かれていたので1部引用します。
『自己肯定感とは「自分の存在そのものを認める」感覚であり、「ありのままの自分をかけがえのない存在として肯定的、好意的に受け止めることができる感覚」のことで、「自分が自分をどう思うか」という自己認識が自己肯定感を決定づけています。』
なるほど。
とすると雅は非常に自己肯定感が高いです。
長くセラピストをやっていると
それはまぁ沢山の評価を頂戴しますが
その最たるものが良くも悪くも
「ナルシスト」
な気がします。
雅の自己愛の哲学はこうです。
『自分くらい自分のことを愛してあげないと自分が可哀想』
結局これこそがかの自己肯定感の根源ではないかと僕は考えています。
少し自分語りをすると
僕は中学生時代に誰かに愛されようと必死でした。愛されようと目立つキャラを演じた結果それはもうすんごくいじめられまして、こ
の計画は見事に失敗に終わります。
高校生に上がって、今度は周囲に愛されること、期待することをやめ周囲を否定するようになりました。その結果みごとにグレにグレ、立派な不良生徒が出来上がりました。
この両極端ともいえる思考のプロセス、実は根底にあるものは同じで徹底した「他者依存」であったと思います。
自己評価を二の次にして他者からどう思われるか、他者がどう感じるかに固執してしまったわけです。
この2つのスーパー大失敗を経て、他者がどう思うか他者からどう感じられるか。からの脱却を目指します。
そして辿り着いた哲学が
『誰がどう思うかとか関係ない。でもせめてせっかく産まれたんだから自分くらい自分のことを愛してあげよう』
になるわけです。
(※)そうはいってもまだまだ若輩者。
手放しで自己を肯定し愛してあげることが出来れば良かったのですが、そこは修行不足で日々「自分が愛せる自分」であろうと模索しています。(まぁそれを厨二病と叩かれたりもするわけですがソレは特に気にしてないのでよし。厨二病だし。)
聖書にもこんな言葉があります。
「自分を愛するように、他人を愛せよ」
あれだけ愛がなんたるかを語る聖書ですら、まず自己愛がなければお話が進まないと語っているわけです。
セラピストというお仕事は
とかく他者を愛するお仕事です。
貴女を愛するべく
自己肯定感爆盛りの
ナルシストで厨二病で
ややポンコツの雅を
背伸びして背伸びして
これからも愛していこうと思います。
雅
雅の写メ日記
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自己肯定感(俺が俺であるため俺は俺の全てを愛するよ)雅