どうも、リクです。
最近、僕の周りで「ルッキズム」という言葉を聞くようになった気がします。
外見至上主義・・・
うん、わからなくはない考え方だと思いますよ。
動物の本能として、より良い種を残す為に外見からその個体の優秀さを見抜く能力がもともと備わっていたわけですから。
ただ、個人的には、やっぱりこの部分が引っかかっていて、現代の僕らがこの本能をどこまで活かしているかは、結構疑問なんですよねー。
外見から中身を見抜く力。
そして、その「本能」と単なる「美しいが至上」という考え方が別々に独立しているならば、もうそれはただの偏見というか悪い習慣でしかないのかなと。
そもそも、美しい醜いは誰の基準ですか?と。
これはおそらく美学とそれに基づく哲学の問題だと思うのだけれども。
「美しい醜いは、普遍的(絶対的)基準が存在するのか。」
ある時代、ある場所を特定(固定)した場合は、あるかもしれません。でもそれって一種の「流行り」なのではないのでしょうか。
流行りにとらわれない、絶対的な美の基準ってあります?
強いていうなら、「左右上下のバランスがうまく取れているかどうか」くらいではないでしょうか。
昔は、日本では、おたふくが美人と言われたりしていますよね。今とは明らかに基準が違いますよね?
あとは、結局、全部「相対的な」「評価」なのかなと。
なら、どこまで「他人と比較すること」が必要ですか?という部分になるのかなと。しかも「見てくれ」という面だけを取り出して。
決して競争をすることが悪だと思いませんし。それが生きる上でのやる気やモチベーションになる場合もあるし(現に僕も体を作っていくのは好きですし。)、プラスに働くこともたくさんあります。けれど、単にそれが劣等感やマイナス感情のみしか生み出さないのなら、そこにとらわれる必要はないのではないでしょうか。
今や、もっと「自分を大事にする」生き方をすることができる時代だと思います。
で、
さっきの話に戻ってくるのですが、外見から中身を見抜く本能。
これって、つまり、逆に言えば、内面が外に出てくるよね。ということに他ならなくて。
僕の中で、しっくりする言葉にすると
「人相」
かな。
うん。
僕はルッキズムは賛同はしない。けれど、”人相は出るよね。”って思うんです。
あー、なんかこの人危なそうだなとか。この人は、よく人見てるなとか。
人間性とか、経験とか、内面に備えているものって、外にまで影響を与えていて、それが滲みでて見えてくる。
というのはやっぱりあると思います。
だって、例えば、躊躇なく人殺せるような人と、なんの抵抗なくも仲良くやるのは難しくないですか?
(実際に長く付き合って、それだけではないとわかれば打ち解けられる可能性はあると思いますが。)
←例えが下手かも。笑
だから、僕個人的なところとしては、人相はみるよ。ってこと。でもルッキズムとは違うんじゃないかなと思っていて。
でも、逆に見られる側でもあるから。そこの面では、やっぱりシェイプとか見た目は気にせざるを得ないよねと。笑。
そういうジレンマ抱えてる。でも人間とこんなもんだよね。とも書いていてふと思いました。
なんとか、まとまったかな。?笑
リク