好きなものを"好き"と言えるくらいの気楽さで、嫌いなものを"嫌い"と言えたなら、きっともっと自分を愛せるだろうなぁと最近ふと思った。
映画や本に触れて感想を抱くように、人と接して抱く感想もあるし、それがあまりにも表層的にしか相手を見ていなかったとしても、その人と関わって生まれた感想ならどんな感想でも正解だろうと思う。それが"好き"という前向きな感想なら堂々と伝えればいいし、"苦手"とか割と明確に"嫌い"という感想なら心の中で留めて置くとか、離れられる関係なら言う必要も無い。でも職場や家庭内や、物理的な距離があまりにも近すぎて、どうしても伝えないと今いる自分の環境が居づらくなるようなら、言葉をしっかり選んだ上でちゃんと伝えていいはず。
それは他でもない自分を大事にするために。
好きは言ってよくて、嫌いは内に秘めて、みたいなそんな不平等さはどこか息苦しい。内に秘めて収まる程度のものなら全然良いけれど、言わないでいることで自分の心が荒んでいくのなら吐き出して楽になる方がずっと自分のためであるし、相手と向き合うことで伝え方次第では関係が思いもよらず良好になったりする。
最近僕は昼職の上司に「あなたのこんなところやあんなところはすごく素敵だと思うし、言ってることは正論だけど、こんなところが苦手で一緒にいて僕は働き辛いし好きではない」という旨を伝えた。
幸い真正面から向き合ってくれる人だったから「あなたがそれを伝えてくれたから私も直そうと思った」と言ってもらえた。ちゃんと自分の気持ちを話して良かったと思えたケースだ。
みんながみんなそんなケースではなく、本心を伝えた結果関係が悪化することも多くある、僕はどちらかというとそっちのケースがこれまで多かったので"苦手"や"嫌い"を伝えるのはかなり抵抗感があった。それでも伝えなきゃと思ったのは、自分の環境と心まで飲み込むほどの巨大な渦から自分を守るためじゃないだろうか。
嫌だなとか辛いなとか思ったなら無理せず逃げれば良いのだけど、どうせ逃げるならせめて、逃げる前に自分の気持ちに素直に正直にいた方がずっと最後まで自分に嘘をつかないでいられるし、僕は多分そんな自分の方が好きだ。
気持ちを伝えようとするのは、ナイフの切先を相手に向けるようなものなので、慎重に言葉は選ばなければならないのがまた難しくて、そのために語彙表現力が必要なのだろうなと。
マイナス感情に関しては特に、そういうものが一切ないままにストレートすぎる表現は、人に負担を与えてしまう、気もする。
僕が繊細すぎるだけかもしれない。
その人の1つの嫌いな部分を伝えるために5つの好きな部分をちゃんと知っておきたいなとか、そんなことをわざわざするほど不器用ではあるけれど、なんにせよ自分の気持ちに正直でいられていることで自分を今日も好きでいられる。
少しでも自分が生きやすくなる生き方を毎日選んでいこうね。
詩
詩の写メ日記
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自分の気持ちを伝えるということ詩