子供と触れる機会がまあまあの頻度であるが、
子供ってしっかり目を見て話すのはもちろん、必ずと言っていいほどに喜怒哀楽がある。
喜怒哀楽がバランス良く存在する。
喜ぶ時は全力で笑い、はしゃいで表現する。
怒る時は声を荒げてジタバタして涙をボロボロと流し、鼻水ダラダラ垂らしながら怒りを表現する。
哀しむ時は、はたまた声を荒げてジタバタして涙をボロボロと流し、鼻水ダラダラ垂らしながら哀しみを表現する。
楽しむ時は全力で『楽しい!』っていうのを全面に出して表現する。
どの表現に対しても裏表がなく全力でありフラットだ。
だけど、大人はそうも言ってられない。
周囲の目や周囲の環境、自分の置かれている状況、しがらみや葛藤...など色々な因子によって
目を逸らしたり、喜怒哀楽のバランスがおかしくなったりしている人が多い。
喜びを表現しづらいけど怒りや哀しみは強いだとか、
哀しみばかりでその他の感情は『無』であったり、
怒りだけで生きている人もいる。
いつの間にか自分の表現をしづらくなって、自分が表現しやすい所に依存している。
そういった色々な状況や葛藤がある人々にとって
自分達の『役割』ってなにか?
それは、
この喜怒哀楽をフラットにする手助けなんだと思う。
日々の生活で哀しみばかりの方に寄り添ってあげて、喜びに変換してあげる。
日々の暮らしの中での怒りを、少しでも良いから話してくれたら、楽になるかもしれない、自分達が変換してあげる。
喜怒哀楽って本来バランス良く、フラットであるもの。
そうであれば心は満たされている状態。
だから、いいんだよ。
俺に会っている時は『子供』になっても。
大樹
大樹の写メ日記
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喜怒哀楽のバランス大樹