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santuario OSAKAの燕真(えんしん)です
気遣いというのは
一般的には良いこととされていますよね
ただあらためてその本質について考えてみると
意外なほど奥深いものだと感じることがあります
まずは気遣う側の視点から
誰かに対して
「気を遣おう」と意識しているうちは
まだその行為はある意味で表層的なのかもしれません
それが自然に無意識のうちにできるようになって
初めて一段階深いレベルに入るような気がします
次にその気遣いが
「相手に伝わる」ことについて
もちろん相手にわかりやすく伝わる気遣いも素晴らしいのですが
むしろそれとは気づかれないようなさりげない配慮ができる人には
より深い優しさが宿っているのではないでしょうか
では今度は気遣われる側の立場に立ってみると
他者の気遣いに敏感で
それに気づける人って
とても魅力的ですよね
でもさらに表には出てこない
あえて見せないようにされた気遣いにまで気づける人がいたとしたら
その感受性は本当に素敵だなと感じます
そして最後に
そんな「気づかれない気遣い」にすら
気づいてしまうような人に対してあえて気づかれないままでいられるような
さらに一歩先の気遣いができるとしたらそれはもう
芸術の域かもしれません
ここまで来るとちょっと何を言ってるのか
わからなくなってきたかもしれません
正直自分でも「何の話だっけ?」と思ってしまいました笑
それでももっと丁寧にもっとさりげなく
そんな気遣いができる人間を目指していきたいと思っています
santuario OSAKA 燕真
燕真の写メ日記
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気遣いのできる人とは?燕真