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柚香の写メ日記

  • そんなものには乗らない
    柚香
    そんなものには乗らない

    京都に春が来ると、街は途端に浮つきはじめる。

    桜は勝手に咲き、花粉は無断で舞い、鴨川三条界隈ではカップルが等間隔で増殖をはじめる。うっかりすれば、僕のような存在——つまり、哲学科に所属し、多少の人間不信を抱え、文学と糖質をこよなく愛する青年——など、存在の必要性そのものを否定されかねない季節だ。

    春の京都には「幸福の気配」が漂っている。そして幸福の気配というやつは、常に僕に問いを投げかけてくる。「君は、まだ、幸福ではないのかね?」と。

    これが実に、たちが悪い。幸福というのは実体を持たぬ亡霊のようなもので、追いかけたとたん、ぬるりと指の隙間から逃げていく。まったく迷惑な話である。

    そんなある日のことだ。大学の食堂にて、後輩の佐々木(仮称)に、唐突に訊かれた。

    「先輩って、自転車、乗るんですか?」

    ……きたな。これである。

    人はよく、会話の糸口として安易な質問を投げかける。「雨、降ってますね」「最近、暖かくなってきましたね」「先輩って自転車乗ります?」——などという類の、意味のあるようで空っぽな言葉たち。

    だが僕にとって、「自転車に乗るか否か」という問いは、けっして軽くない。
    それはほとんど、「あなたは人間という存在をどう捉えているか?」という問いに匹敵するほどの哲学的含意を含んでいる。

    だから僕は、牛丼の湯気を見つめながら、静かに、そして厳かにこう答えた。

    「そんなものは乗らない。今はluupがあるからね」

    luup。それは京都の街に忽然と出現した青い馬。文明の皮をかぶった魔法の乗り物。
    スマホを取り出し、ぽちぽちと操作するだけで、どこからともなく自転車が現れ、しばし僕を運び、そして再び、青い影となって消えていく。

    所有しない自転車。それがluupである。

    「luupって、便利ですよね……でも、やっぱり自分の自転車の方が安心じゃないですか?壊れる心配もないし……」

    佐々木はそう言った。ふむ。素朴な発言である。しかしそこには、文明に内在する最大の病——所有の呪いが、深く根を下ろしているのだ。

    僕は、スプーンを置いて語り始めた。

    「佐々木、よく聞きたまえ。この文明、いや、この人類のすべての悲劇の始まりは、’’所有’’だったのだ」

    「所有、ですか……?」

    「そう。所有だ。人類が“これは私の土地だ”と言ったそのとき、歴史は動いた。土地を囲い、他人を締め出し、門に鍵をかけ、隣人と柵を立てた。そこから戦争が始まり、貧富の差が生まれ、挙げ句の果てには“自分のパートナー”という謎の概念まで生まれた」

    「……luupって、そんなに深いものだったんですか」

    「深いよ! luupはただの交通手段ではない。思想なのだよ。非所有。移動する自由。信頼のネットワーク。そして、幸福のプロトタイプ——それがluup」

    luupは誰のものでもない。だが、誰でも使える。
    それはまるで、あらかじめすべてが許された愛のようなものだ。
    所有の喜びを手放した先にある、清々しい風。
    luupのペダルを漕ぎながら、僕は時折、哲学的恍惚に包まれることすらある。

    「けれど……手放すって、寂しくないですか?」

    佐々木が、ふと呟いた。

    僕は彼の顔を見て、うんうんと頷いた。

    「寂しいさ。人間は所有に慣れすぎてしまった。だから最初は寂しい。でもね、失うことを恐れて握りしめ続けるより、最初から“持たない”ことで生まれる自由がある。それは幸福だよ、佐々木くん」

    僕がluupに乗るのは、便利だからじゃない。
    所有を手放したその先に、本当の幸福があると信じているからだ。

    luupにまたがるとき、僕は文明を一つ脱ぎ捨てている。
    鎧を捨て、肩の荷を降ろし、誰のものでもない風の中へ飛び込む。
    僕の住まいがどこかなんて、どうでもいい。
    luupがあれば、どこでも帰れる場所になる。

    だから今日も、僕はluupに乗って走る。

    鴨川沿いを風に逆らって進むときも、京都市水道局の角を曲がる時も、僕はただ、
    人類の歴史にささやかな反抗をしているだけなのだ。

    ああluupよ。
    青いフレームの向こうに、失われたユートピアが見える——そんな気がする春の午後である。