もう食傷気味になったこの言葉が持つ魔力
少しお話させてください
「自己肯定感」が低いということは
ありのままの自分を受け入れられないことなんでしょう
自信がなくて自分はダメだ・・・と沈んでいく
もうやめませんか?この「自己肯定感」という言葉を
言葉がありきで自分を当てはめなきゃいけませんか?
自信がない今の自分を当てはめてしまえば言葉の渦に巻き込まれるだけです
そして他者に自己肯定感が低いんですと伝えてしまう
そうすると、この人は自己肯定感の低い方だというレッテルを貼られてしまう・・・
負の感情で満たされてしまう・・・
他人が判断基準になりかわる・・・
人は
求められたい
認められたい
その欲求が満たされていると、自分を卑下するような負の感情は湧きにくいんでしょう
じゃあ、求められ、認められなければならないのか?
違います
自信がなくたっていい
自分を好きじゃなくたっていい
ただ、粗末に自分を扱わなければそれでいいんです
粗末に扱うというのは
わざわざ負のレッテルを貼り付けようとする人に近づくこと
自分のために時間を使わないこと
だと思います
ありのままの自分を受け入れるために
自分を大切にできる環境に身をわざわざ置けばいいんです
例えば人によっては
仕事しているとき
ヨガをしているとき
音楽を聴いているとき
読書しているとき
料理をつくっているとき
パチンコしているとき
好きな人と一緒にいるとき
いろんな環境があって
少しでも満たされたと思う瞬間に立ち会える環境に身を置いて欲しい
達成感とつながっているのかもしれませんが
気持ちが満たされたとき
その環境を選択した自分が少し好きになれませんか?
やって良かったって思いませんか?
それでいい
それ以上もない
そこからしか自尊心は育まれない
自分を否定するな!
自信を持て!
やればできる!
前を向け!
感情に抵抗するような薄っぺらいアドバイスなんていらない
もっとその人が満たされてる環境こそが「尊い」ことを伝えるべき
その上で平常心で生活を営むことの「意味深さ」を伝えるべき
私はそう思う