【過酷な日々】
18歳の終わり頃、両親の離婚により、学費を自分で払うということで大学を辞めない事を決めました。
今までの生活とは打って変わって、一気にお金のない過酷な生活になりました。
当時コールセンターのアルバイトをしていたのですが、それだけではお金が足りなかったので、並行してホストクラブで働くようになりました。
平日は学校が終わって夕方からコールセンターで働き、夜にそのままホストクラブで朝まで働きそのまま学校へ…
土日は朝から晩までコールセンターへという生活をしていました。
睡眠は基本的には学校でとってました。
当時の財布事情はというと、学費や生活費諸々引いて手元に残ったお金は2-3万ぐらいでした。
そこから食費や日用品などの雑費を払うので、娯楽に使えるお金はほとんどありませんでした。
なので当時の食事はというと、スーパーで1玉30円ぐらいで買った麺で具無しの焼きそばを作ったり、米だけ炊いてその上に60円ぐらいのコロッケのせて食べたり、おでんの具を1品だけ買って無料の汁をいっぱい注いで食べてました( ・-・)
時間がある時でもお金がなかったので友達とも遊ばなくなったし、一人でお金を使わずに遊ぶ事が増えました。
なので当時の娯楽は、近所を散歩してコケを採取して栽培したり、地元の池で釣りをしたり、ゲームや絵をかいたり読書をしたりして過ごしていました(´-`)
海水魚や観葉植物など、今の趣味につながっているものもあるし、当時読んでいた本が今の考え方や知識として活きています!
それからしばらくして、コールセンターの仕事がバイトとはいえ営業なので成績次第で給料もかなり変わってきて、コールセンターの給料だけでもそれなりに生活ができるようになったので、体調の事も考えてホストの仕事は辞めました。
それが20歳の終わり頃の話なので、2年近くこの生活をしていました。
気が付けば友達とも遊ばなくなり、元々は声も大きくみんなとワイワイ騒ぐタイプでしたが、気が付けば声量も小さくなって一人の時間が好きになっていましたd( ̄  ̄)
僕にとってのこの過酷な日々はかなり大事な期間で、今の自分があるのもこの日々があったからこそなので、必要な日々だったと思います!
今もですが夜の仕事を通していろいろイメージも変わったし、いろんな人と出会うことで自分の生き方や考え方も変わったし、何より全ての物事に対して自分の許容範囲が広がった気がします。
現在は会社員をしていて、女風の仕事もしています。
今は何不自由なく生活ができています。
それでもお金に対する考えは今でも変わっていないし、1万円がどれだけ価値があるか、稼ぐことがどれだけ大変かを身に染みて理解しています。
当然のことですが"全力で接客をする"という僕のモットーにはこういった背景もあるのです。
次回第11話・・・【新しい環境へ!!】
次回もお楽しみに~!
拓也の写メ日記
-
番外編拓也まん物語~第10話~【過酷な日々】拓也