こんばんは~!!拓也まんです٩( ᐛ )و
今日は"束縛"についてのお話です~!!
さっそくですが僕が生きていて一番嫌いなことが"束縛"です。
するのも嫌ですし何よりされるのが一番嫌いです。
はじめに、束縛する側の人間について思うことです。
束縛する側の人間にとっては、相手を縛ることで自分の都合の良いようにふるまえるので、できることならしたい人が多いと思います。
誰だってできることなら自分の都合の良いように物事を進めたいですよね。
でもしない人が多いのはなぜか。
相手の気持ちを考えて一方的なコミュニケーションを望んでいないからです。
なので僕は束縛する側の人間に対して、「人間関係で楽をするな。」って思ってます。
人が違う以上どんなに気が合う人でも思い通りにならないことだってあるし、その中でどうしたらいいか考えたり、相手の気持ちを考える事がコミュニケーションだと思います。
僕からしたら束縛をするという事は、そういった人間関係を形成する上での大事なコミュニケーションを無視する行為だと思ってます。
好きな人や仲良くしたいと思う人、大事にしたいと思う人ならなおさらそんな事はしたくないです。
次に束縛をされる側の人間について思うことです。
シンプルに自分の意志はないのでしょうか。
「自分はこうしたい!」とか「それは嫌だ!」
というような意思はないのでしょうか。
たまに束縛をされる事で自分のことを思ってくれている、愛されてる証拠だと捉える方もいらっしゃいます。
ではもし、束縛されているその人がお金に困った時、その縛っている相手は助けてくれるでしょうか。
はたまたその人を縛るその時間、ひいては人生に責任を取ってくれるのでしょうか。
そこまで責任を取ってくれる、あるいはその人が束縛されることを楽しんでいるなら良いと思います。
それも一種のプレイです。
ただ、もし現在我慢や無理をしてまでその人に合わせたり縛られているのだとしたら、「自分のことが好きだから。」とか「自分のことを思ってくれてるから。」なんて自分をごまかして人間関係で楽をしないでほしいのです。
女風の業界でもセラピストからお客様、お客様からセラピストという具合にどちらの方面でも"束縛"はありますよね。
ただ女風におけるセラピストからお客様への束縛に関しては、上記のような考えを持っていないと変な沼り方をしたり、辛い思いをするだけだと思います。
今あなたが会っている方はどんな人でしょう?
今日はそんな"束縛"についてのお話でした~!!
拓也
Twitter→@candyosaka_tak
拓也の写メ日記
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束縛拓也