【化粧の歴史】- 拓也(CANDY OSAKA)大阪/性感マッサージ

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拓也の写メ日記

  • 化粧の歴史
    拓也
    化粧の歴史

    こんばんは~!!拓也です٩( ᐛ )و

    先日のキャスで化粧の話になったのですが、ふと「化粧を考えた人って凄いなあ」と思いました。

    その発想が!!!


    「ちょっと顔になんか塗ってみようぜ~お、なんか良い感じかも!?」みたいなことから始まったんでしょうか。


    気になったので今日は"化粧の歴史"について調べてみました~!!!





    日本の歴史では、『古事記』や『日本書紀』などの記述や、古墳時代にも埴輪の顔色彩色から赤色顔料を顔に塗る風習があったことから、かなり古くから化粧の文化は存在していたようです。

    原始的な化粧から、美意識に基づいた化粧へ発展したのは、6世紀後半なんだそう。
    大陸や半島文化の輸入により、紅や白粉などの化粧品が日本にも入ってきたそうです。

    692年には、日本で初めて鉛白粉が作られたそうですよ!


    平安時代からは、日本独自の化粧へと変化し、黒髪に白粉を塗り、眉を抜いて、額の上部に眉を描き、お歯黒をするようになったそうです。


    このぐらいからなんとなくイメージできますね!

    真っ白な顔にお歯黒で、太い眉毛がちょっとだけみたいな感じ…
    おじゃる丸だああああ



    江戸時代になると、女性向けの礼儀作法も充実し、化粧の心得なども詳しく記されるようになったそうです!
    当時の化粧は、赤(口紅、爪紅)・白(白粉)・黒(お歯黒、眉作り)の3色が化粧の中心の色だったそう。


    江戸時代に女性たちが特に意識していたのが、白粉化粧で、色白が美人の第一条件だったそうです!



    小梅太夫も江戸時代なら天下取ってたかもですね。チックショー!!です。



    お歯黒は、江戸中期以降には、結婚に前後して歯を染め、出産すると眉を剃り落としたので、既婚女性を象徴する化粧だったそうです。

    また、眉化粧は、ある程度の年齢になった公家や武家といった上流階級の女性たちが、眉を剃り落とし、額の上部に別の眉を描いたものだったそう。


    それから近年に入り、1870年に、華族にお歯黒と眉剃りが禁止され、徐々に一般の女性たちも止めるようになったそうです。


    大正時代には、女性の社会進出と共に、スピード化粧や対人関係を円滑にするための化粧が少しづつ提案され、それまで白一色だった白粉も多色白粉へと発展し、口紅も、今のような棒状口紅へと移っていったんですね。


    1951年頃から、アメリカの雑誌や映画などの影響を受け、化粧のポイントがアイメークや口元を強調する傾向に移っていったそうです!



    以上が"化粧の歴史"になります~!!



    なるほど、今のような化粧は大正時代頃からって感じですね。

    時短の為に今のような形になり、海外のメディアの影響もあって今のような美意識が形成させたんですね。


    やっぱりいろんな人と交流することは大事ですね。

    もし日本が独自で発展していたら全く別の美意識だったかもしれないですね!
    歴史は繰り返すと言いますしまたいつかお歯黒ブームが到来するかもしれませんね( ̄▽ ̄)


    ということでそれでは皆さんおやすみなさい(_ _).。o○



    拓也

    Twitter→@candyosaka_tak




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