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秋の写メ日記

  • 「性的」という悪2
    「性的」という悪2

    どうもCANDYOSAKAの秋です。
    今回は前回の続きの話をしたいと思います。


    今の世の中では、性的なものを悪いものとする社会通念があると思います。
    前回は、この考えは明治ごろからのものだろうといいました。
    今回は、この話をもう少し掘り下げてみたいと思います。
    どうしてそうなったか、順当に考えるならこうだろうな、という見解です。


     その要因としては以下の点に尽きるかなと思います。


    ①西洋文化の流入
    ②政府(近代国家)による国民管理 


    ①西洋文明の流入


    これが一番大きいと思います。
    鎖国から開国に転じた日本は、西洋の文化を吸収するなかでその考え方も吸収していきます。
    そのうちの一つに、文明人とは理性的であり、動物的(性的)なものは野蛮で非文明的なものだという西洋の考えがありました。
    たとえば、こうした考えのもとでは、それまでの日本にあった混浴文化は野蛮で非文明的とみなされました。
    男女が局部を露出する混浴は西洋的な価値観からは、動物的で野蛮なことです。
    こうして近代化を目指した日本は「混浴禁止令」を出すことになります。


    現在の男女別に分かれている温泉ですら、忌避されることがありますね。
    もし「混浴なんてありえない」と考える人がいたら、その人は立派に西洋の(近代的な)考えに染まった人だといえます。
    その考え方自体は、明治期以降のものであたりまえのものではないです。
    ほかにも戦後に売春が禁止されるようになりますが、これもこうした近代化の流れですね。 


    ②政府(近代国家)による国民管理


    明治期は、日本全体を一手に掌握する政府ができました。
    これも①と似てますが、西洋的な国家観に影響を受けたものですね(ウェストファリア体制といいます)。
    これまで藩が各地域で権力を振るっていたときよりも強い力を持つことになります。
    国は犯罪抑止によって治安や秩序を維持する一環として、性的なもの全般の管理を行うようになります。


    また、こうした管理には国民の生命を管理するという意味合いもあったはずです。
    つまり、性犯罪などを抑制するという意味合いだけでなく、国民の出生や死亡、公衆衛生の向上や性病の流行を防ぐことで国民の生命を管理するという政治のあり方が生まれたということです(ちなみにこれは生政治と呼ばれます)。
    そのように、人は「こうあるべき」といった性道徳や性規範が国民に共有されていったのではないかと思います。 


    結論としては、性的なものを悪とするのはおおむね西洋の考え方からの影響が強いだろうというお話でした。
    ただ、それ以前の時代にも性に対してタブー視する向きが全くなかったとはいえないでしょうし、時代や地域によってそれはかなり多様であったはずです。
    今のように社会全体で性を悪者のように捉えるあり方は、明治からのものであったではないでしょうか。


    私としては、性に対する恥じらいや嫌悪感というのは、こういうところからきているのではないか、と一度疑うことの重要性を感じています。
    そうしたことを踏まえたうえで、なお、性を嫌悪するのは健全なことだと思います。
    ただ、盲目に性的なものを避ける態度というのは、結局、国に従順なだけのようにも私には感じてしまうのです。


     反対意見でもなんでも結構ですので、ご意見があればDMなりで教えてください。
    今回は以上になります。長くなってすみません。
    日記っぽくなさすぎますね。以後こういう日記は控えます。
    では〜