意外と見つけるのが難しいモノ。ちょっとした幸せ。
大人になるに連れて、その’’ちょっとした幸せ’’に慣れて行くのでしょうね。
それらに慣れた結果、過去を思い返す。
子供の頃当たり前にしていた行動や仕草を懐かしむ。物心がついた時に、その言動一つ一つが自分にとっての’’ちょっとした幸せ’’足り得た事をようやっと気付けるようになる。
人生って面白いですね。
要するに、受容していける器を広げればいいのです。
自分の器が満ち満ちになっているからこそ、上から零れ落ちてきた’’ちょっとした幸せ’’を感じる事が出来ず、受け流してしまう。
それは、仕事だったり、悲しい事だったり、趣味の時間だったり、大切な人との時間だったり。
人によって、様々な要因で満たされています。
しかし、それらの受容を少なくするのはいけません。
自分の器が狭まってしまう事になるから。
些細な幸せにも気付くことが出来るのは、その人が色々な経験を経て、様々な角度から物事を見る事が出来る人間だと言う証だから。
なにも『今すぐ器を磨け』と言っている訳ではありまさん。
僕自身、いっぱいいっぱいになって自分の器が割れて弾け飛んでしまいそうな日もあります。それも頻繁に。
人間強度が足りないなぁ、なんて負のループに陥る事もありますが、自分を責めるのはもう辞めました。
自分の器を削る事になってしまうから。
それよりも、そんな自分にとって逆境の瞬間にこそ、器が試されると僕は思っています。
『事実→思考→感情→行動→結果』
これは世の中に起こる様々な事象の基本です。
この中の『思考』を変える事によって、結果は大いに変わってきます。
例えば『好きなアーティストのライブ抽選に外れた』と言うか事実があるとしましょう。
その次の思考の段階で『外れたな…行ける人は羨ましいな…』と思考すれば、感情は落ちて行きTwitterやらで当選した人のツイートを見てしまうようになったり、たちまち負の感情を抱く結果になる事でしょう。
しかしこの思考の段階で『うわ!外れた!って事は次のライブでしこたま良い席を用意してくれるんだな!運の貯金って事だ。しめしめ。』と思考すれば、感情は落ちる事なく、人の意見に左右されず、他に自分の好きな事を素直に受容出来る様になる。
自分の受け取り方次第で、こうも結果が変わってくるのです。
最近僕が読んだ本でも同じ様に書いてありました。
やはり、知識と考え方の蓄積は偉大だ。
その上で’’ちょっとした幸せ’’とは、自分で受け取りに行くものでもあるのかもしれませんね。
自分の器は、今ある現状の100倍以上にはしたい。
だって幸せを感じれる幅が広がる訳ですよ?やるに越した事はない。
しかも『思考を変える』なんてタダで出来るし才能もいらない。
簡単な事では無いのかもしれないけれど、自分を幸せだと感じれる人こそが、人を幸せに出来ると信じています。
なので、僕が皆さんに幸せをぶちまけれる様に、僕がまず幸せになって見せます。
待っててよ。
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天津 翔の写メ日記
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No.164 ちょっとした幸せ天津 翔