誰しもが生きてちる内に、必ずしも通る感情。瞬間。場面ですね。
大人になった今なら、尚更感じる瞬間が多いのではないでしょうか。
半ば強制的にグループや小さな社会で暮らして行く事を義務付けられていた幼少•中年時代とは違い、今の社会は’’個’’である大人がギシギシの数珠で繋がっている様な状態。
数珠の中に通っている一本の拙い’’スジ’’が切れてしまうと、一気に’’個’’である一人一人は霧散してしまう。僕の目にはそう見えます。
恐らくですが、感情を伴う行為に疲れを感じているからでは無いでしょうか。
子供の時分は、身体や感情をフルで使ってもすぐに回復する体力があった。
ヘトヘトで帰って来ても、温かいご飯が用意されているし、ふかふかの布団で寝る事だって出来た。
親と言う心強い味方が居てくれるし、自分の帰る場所がはっきりと存在していた。
’’顔見知り’’の友人や大切な友人とも毎日の様に顔を合わせる機会が絶えなかった。
ですが、大人になるとそうは行きません。
どれだけ上司に怒られようが、どれだけ自分が頑張ろうが、自分でした事は自分しか知りません。疲れる事もしんどい事も、全て自分で処理しなければならない。
そこでの経験の乖離が’’孤独’’と言う現実を突きつけて来るのでしょう。
だからSNS上で自分の生活や頑張り、辛い事や嬉しい事を共有する事が爆発的に増えた。
『自分はここにいる』『自分を見て』『自分はこんな事をしているんだ』と。
ここからはあくまで僕の考えなので、否定する人はして下さい。
孤独で居る事は何よりも辛い。多忙で居る事の方がよっぽど楽に思える程に。
僕は昔、引き籠りの様な精神状態にまで陥った事があります。
幸い、自分の人生を終わらせる様な考えは起きませんでしたが、毎日が’’暇地獄’’でどれだけ寝ても、休んでも、身体と心が疲れて行く一方でした。
そんな中、SNSで見るかつての友人達は『結婚しました』やら『会社の同僚と旅行中』だのと、画面の輝度をイジっても居ないのに、何故か眩しく感じる僕のケータイの中を、爛々と照らし出していました。
2度とあんな生活には戻りたく無いし、だからこそ『多趣味で居よう』と思えた。趣味に没頭する時間は、自分にとっても、これから出会う様々な人にとっても有益であると思えたから。
何もかもが自由で、何もかもが自責であるこの世の中。
物心が付いた時から、世の真理に気付く人は多いでしょう。
寂しいと思う時間も今後も増える事でしょう。
しかし、1人じゃ無い。1人じゃ無いって事を伝えたい。
僕はその人達を助けたいとは思いません。僕自身、人様を簡単に助けられる様な高尚な人間では無いから。
でも、陰ながら応援する事は出来る。励ます事は出来る。
同じ痛みを感じた事があるよ、と寄り添う事は出来る。
僕の生む文字が、少しでも人の心を動かす様に信じながら。
…少しクサいですね。
『いや、だいぶ』
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天津 翔の写メ日記
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No.162 孤独を感じる瞬間天津 翔