これは自分の体験談でもありますが、自然一択ですね。
アウトドア全開の日を作る。
ケータイをイジってしまう時を改めて認識してみると、空いた時間や暇な時間である事が多いんですよ。
要するに『簡単にドーパミン(興奮物質)を流す事が出来る』体験がケータイには詰まっています。
インターネット、SNS、情報の波。
全て、人間が興奮し得る物質を生み出す要素となっている訳です。
以下は、ある本で読んだ事がある一説です。
一度ケータイの魅力を知ってしまった人は、例えケータイに触れていずとも、ケータイと同じ空間に居る(ポケットに入れて置くだとか、寝る時にベッドの脇に置いて置くだとか。)だけで微量のドーパミンを発し続けている、と。
そこにケータイの通知音が流れると、その事で頭が一杯になってしまって、ついつい内容を確認してしまう。それが結局どんな些細な事象であっても、です。
定期的に決まった報酬を与えられるよりも、何気ない瞬間に訪れる報酬の方が脳内物質の分泌が活発になる。
それにプラス、人間は見えない(わからない)状態で与えられた物を、自分の最上の形で妄想してしまう。
ここは、上記で例を挙げた’’結局どんな些細な事情であっても’’の部分ですね。
、、、とまぁ、スマホが何故この世の中にこれ程普及していったか。はたまた、どの様なメカニズムで人間を虜にしているのか、の講義は単位を授ける程の量の日記を皆様に読んで頂く事になるので、少し割愛させて貰いましょう。
一日ケータイを見ずに過ごすとしたら、それは’’自然に抱擁される’’一択です。
自分の経験を踏まえて語らせていただくと、自然と触れ合っている1日って、僕の中でかなり満足度が高く、深く眠りにつけている印象があるのです。
大人になるに連れて、多種多様な刺激物を摂取する機会が多くなってきつつあります。
子供の頃を思い返すと、ケータイなんて触る暇も無いくらい世界の様々な事に興味津々ではありませんでしたか?
毎日頭を使って、体を使って。感情を使って、言葉を使って。
思い出補正も入っているとは思いますが、そもそも’’不満’’を覚えるより先に’’楽しさ’’を自分で見出していた気がします。
そんな楽しさの部分を担ってくれていたのが、僕の場合自然なんですよ。
山、川、海、雪。
子供の頃は必死になって遊んでいた景色が、大人になった今では全く違う物に感じます。
花を見て感嘆する事も覚えたり、自然が放つ匂いの味も覚えた。
レンズ越しに見る絶景よりも、そこまで足を運んで見る目の喜びを覚えたり。
決してケータイと言うモノを悪く言う気はありません。
僕自身、これから一生手放す事は出来ないでしょう。
それくらい僕の生活の大切な一部となっていますから。
しかし、より豊かな自然に触れる時間って、意外と忙しくて楽しいんだよってわかって欲しい。
そんな日記でした。
以上、エセ啓蒙家の天津 翔でした。
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