深掘りしか出来ない内容のお題がまた出てきましたね。
ルッキズム。直訳すると、外見至上主義。
見た目で印象や人格、人間的優位性まで勝手に決めつけてしまう主義の事を指します。
これだけで聞くと、非常に悪質な主義に聞こえるでしょう。
しかし、これは人間の奥底にある本能の部分を言葉として具現化させただけだと僕は思っています。
勿論、見た目で何もかもを判断してしまうのは非常に危険です。判断された当人も『それは違う』となる場合が多いですし、判断を下した本人も『それは違ったんだ』と失望する場合も多いです。
しかし、外見と言うのは非常に重要なピースでもあります。
仕事をする時、性の対象として接する時、信頼関係を築く時。
何かしらの人間関係を築く時に、直感的に外見で判断するのはもはや当然と言っても良いでしょう。
人間は初めての試みをする時に、誰しも不安は抱えるモノです。
目の前にある情報を見て、自分の気持ちを擦り合わせて毎秒判断を脳に委ねているからです。
そこで外見の情報を完全に無視する事は中々難しいでしょう。
だからこそルッキズムと言う言葉が出来上がった。
ルッキズムについて調べると『外見で判断する事は良くない』と言う主張が多く見受けられますが、僕からしたら外見で判断をしても良いんです。最初は。
そこから中身を知ろうとする努力を怠る事を危険視すべきだと僕は思っています。
むしろ、外見で得たマイナスの部分を中身の豊富さで打ち消す事で、それらがプラスの働きへと転じる可能性も高い。所謂『ギャップ』と言うヤツですね。
しかし、外見や立場を重んじる日本社会に置いて『ギャップ』まで感じて貰えるような関係性を築く事事態、また難しいと思うのも本音です。
だからこそ、最低限の外見は自ら磨くべき。
少なくとも、僕達セラピストは自分自身を商品にしている訳ですから。
粗雑な加工をされた古い飛行機と、完璧に整備された新しい飛行機。どちらに乗りたいかは一目瞭然でしょう。
こんな例もあります。
ごく普通の一般男性とモデルの男性2人の服装を反転させた結果、女性が好感を抱く相手は服装をまるっきり変えたとしても、モデルの男性の方だった、と。
まさにルッキズムを象徴する例でしょう。
世の中の人で、自分の外見に100%満足している人はどのくらいいるのでしょうか。
少なくとも僕は自分の外見に関して悩んだ事が星の数程あります。
しかし、他人と比べるルッキズムはどこまで行っても平行線。
決して『羨ましいな』と思った相手と同様の見た目には、恐らくなれないでしょう。
それを踏まえた上で自分の外見の魅せ方を見極め、そんな考えすらも凌駕する様な豊かな中身を目指すべきだと、僕は自分自身に言い聞かせています。
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天津 翔の写メ日記
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No.150 ルッキズム天津 翔