さて。昨日の続き。
『3ヶ月で辞めようと思います』
こんなふざけた内容を、面接で堂々とのたまう者が居たんですね。居るんですよここに。
そんなうつけ者に合格判定を出したウチのオーナーは、さながら斉藤道山でしょうか。
ここまでの経緯は昨日の日記を見て頂く事にして。
続きを書いて行きましょうか。
そんなこんなで女風界に参入する『手解き』を頂き、無事にデビューを迎える事が出来た僕。
最初は全くやる気がありませんでした。
パネル写真もこだわりが一切無く、撮られるがままの姿をアップ。Twitterなんてアカウントを作ってすらいない。写メ日記は月に2回更新すれば頑張った方。
当たり前ですが、こんなんで本気の僕を魅せれる訳が無いんですよ。
自分が周りからどう見られているか、どう思われているか。そこまで考えが回らなかった結果ですね。
同期は颯爽と売れていき、自分は同期の中でも1番軌道に乗るのが遅かった記憶があります。
そりゃ勿論、身が入っていない稽古を見せて、認めてくれる師範なんていませんから。
当然の結果。
しかし、僕の中では全く当然の結果ではありませんでした。
『なんでこの僕が負けている?』
『結局この業界でも、薄い顔で細身の人の方が技術は無くても人気なんだ』
『頑張っても無駄だ』
こんな事ばかり考えていました。
ずぅっと、醜い衣をうっすらと羽織って日々を生活していた気がする。
そんな陰気な考えが抜けない僕にも、ようやっと転機が訪れました。
半年目に差し掛かったある日、潤君に仕事の事について相談に行った日の事。
『翔は僕と似ていて深く思考を潜らせる事が出来る人だから、しっかりと’’それ’’を発信すれば良いんじゃ無い?もっと色んな面を露出して行けば良いと思う。』
まさにその通り。僕に足りていなかった物が腑に落ちた気がしました。
そして、いつの間にかこのお仕事にも尊敬の念が生まれていました。
『僕は負けて当然の事しかしてこなかった』
『顔なんて母数を拾うだけ。悔しかったら、僕を選んでくれている尊い一人一人を誰よりも大事にしろ。』
『頑張らなきゃ無駄かどうかなんてわからない』
今まで纏っていた衣が綺麗に消え去って、考え方が全く別の方向へと変わって行きました。
今思うに、あの頃の僕は何か変わる’’キッカケ’’が欲しかったんでしょう。
今まで何もしてこなかった自分を否定したくなくて、自分が変わってしまう事を心の何処かで拒否していた。
それは誰かに言って貰わなきゃいけない事で、それは自分の尊敬してる人からじゃないと素直に受け取れない。
だから、僕は潤君の元へ話に行ったのでしょう。
一年目の事をこんなに詳しく話したのは、実は初めてかもしれない。
今まで築き上げてきた膨大な量の日記を見てみても。
…話が全然逸れますが『今までの日記、全部見てから来ました!』って目を輝かせながら来てくれた方もいらっしゃったなぁ。確かその時は3年目。嬉しいのは勿論だけど『たいしたもんだ』が最初に思った感想。
さて。本題に戻りますが、今日僕が綴ったのは当時のリアルな心情。
21.2そこらのケツの青い小僧が抱えていた黒い感情の話。
5年目に差し掛かる今でも悩みが尽きる事なんてありません。最初の頃よりむしろ増えてる。考える事が日々一つずつ増えてきている。
でもそれで良いんです。何も考えないまま人生を使うよりは。色んな感情を引き摺り出してこそ人生ってもんなのかな、って思うから。
最後に『最低な時代』の僕として過去の自分を描いてみた今回ですが、決してその時分に僕を選んで下さった方々を否定したくない、と言う事だけはっきりと伝えさせて下さい。
そんな時にでも僕の何かを見出して、応援してくれてる人達には感謝しか無いから。もう伝えられなくなっちゃった人もいるけどね。
もしこれを読んでくれていたなら、それで良いやって。
その方達がいなけりゃ、3ヶ月どころか1ヶ月で業界ごと辞めてると思うしね。
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