これは過去の写メ日記やツイキャス等でも言ってはいるのですが、今はあまり緊張と言う感情そのものを気にしていません。
中高生、大学生を経て緊張と言う事そのものに対して鈍感になっていった様な気がします。
多分、一種の暗示が麻痺の様な物でしょうが、良い事ではあるのかな?
実際、気疲れやメンタルに起因する体調の変化は人より多い傾向にあるますし。
自分で気付かない内に’’緊張’’しているのでしょう。
僕が何故ここまで緊張に関して疎くなって行ったのかと言うと、自分でそういった’’緊張’’をし得る場面を潜り抜けてきた数が圧倒的に多かったからだと、今は自覚しています。
昔はあがり症すぎて、勝負事には向いていない性格だと言われ続けてきたのを鮮明に覚えています。
精神を鍛える為に習う事になった極真空手。武道の道へ進んだのは良いものの、やはりまだ小学生の時分。そう簡単にあがり症への特効薬になるはずもなく引退。
その後野球の道へと進みましたが、自由奔放な性格故、サボったり喧嘩したりえっちな事に興味を持ったりする青い春。
高校生までなっても、緊張と言う感情とは折り合いが中々ついてはいませんでした。
野球を引退後、大学受験を控えた僕は指定校推薦の友人達がこぞってバイクの免許を取りに行っている中、アルバイトをこなす傍ら、1人こっそりと勉学を齧る事に。
ここで選んだのがコンビニと居酒屋と言う接客業でした。
この2つを経験したのがかなり大きくその後に響いたような気がする。枚分毎秒そこまで親しい訳では無い人達との、目眩く会話を繰り広げる毎日。
緊張なんてしていたら、自分の仕事が溜まっていく一方だったし、何よりバイト仲間や店長に煙たがられるのを避けていた思い出がある。
ここが恐らく、まず一つ目の緊張克服分岐点でしょう。
二つ目は大学生活に存在していました。
僕が入ったら学部学科はと言うと、専門学校顔負けの授業量と質。
確かに教授に寄ってムラはありましたが、今思い返すと、まぁ悪くは無かったんじゃないかなと思います。知らんけど。
そんな僕の学科では毎日がプレゼンの日々。人前やグループで10分以上のスピーチなんて当たり前。
キャンパスライフに現を抜かす暇もあるはずがなく。
プレゼン資料作成→グループや教授に報告→原稿起こし→プレゼント→アルバイト→飲み→プレゼン資料作成→以下ループ。
冗談抜きにこの様な生活を1年間ずっと、ずっとずっとやっていました。もう、自分が大学生活を楽しみきる為には緊張なんてしようものなら、あっと言う間に出遅れて、2度と埋まる事の無い距離をずぅっと後ろから眺めているだけだったでしょう。
僕はそうならない為にも、他人との会話。人脈作りと教授へのゴマスリ&好物把握。これを徹底していました。
…あ。後、教育部の大お姉様方へのご機嫌取りも忘れずに。彼女らは全ての学生のレポートや提出物締め切りを’’教授’’以外で変更する事が出来る偉人達ですから。
おかげで大学では浮く事もなく、友人や先輩後輩の幅も大分と広く持てていました。
アルバイトでの出会いや、大学生活での出会いでの友人は未だに連絡を取り合う人がいる程。
懐かしいなぁ。大学自体はあまり好きにはなれなかったけれど、時を過ごした大学生活その物は好きだったと受け入れています。
まぁ、ともかく。
以上の二つが僕が緊張に疎くなった大きな要因であります。
そしてダメ押しが女性用風俗と言う業界への参入。
これは説明するまでも無いですね。
これほど『緊張しない事』を徹底して鍛えれる職種も稀でしょう。
会話&技術&知識の共有。更に肉体的にも動く部分が多く、逆に『どこで緊張する暇があるんだ?』と思い直すくらいですから。
そういった過去を経て、僕はこうなりました。
…まぁ流石の僕でもPAR5でツーオン決めた後のパターは相当緊張するんですけれども。
身も蓋も無い『ときとば』を添えて、本日の日記は終わり、と言う事で。
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天津 翔の写メ日記
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No.99 未だに緊張すること天津 翔