失敗は成功の元。
小さい頃から耳にタコが出来る程聞き飽きた言葉ですよね。
そんなの皆わかりきっているし、失敗を幾千にも積み重ねた結晶が成功な訳です。
だから『失敗を恐るな!』なんて百も承知だし、失敗を恐れて何が悪い、とも思います。
自分にとって無駄な失敗を重なるようであれば、それは完全に悪手だと僕は思います。
何も考えずに、ただがむしゃらに無駄をし続ける事の意味は皆無と言っても良いでしょう。
頭と精神と身体を使って、正しく三位一体で事を運んだ上での失敗であれば前に進む事が出来るんじゃ無いかって。
これもタダの僕の持論ですから、大いに聞き流して下さい。話2割程度で聞いていて欲しいです。
要するに何も考えずにただがむしゃらな『努力』を美化するのはあまり好かない、と言う事です。
’’生存者バイアス’’とまではいきませんが、テレビやネットで持ち上げられている様な『努力』の美談は、それは彼らが世界でも稀に見る『成功者』であるから故です。
世の中には’’彼ら’’意外にも、彼らと同等程度の努力をしてきた人がごまんと存在しています。
ですから『彼らに負けない様にがんばれ!』『もっと努力するべきだ!』なんて言葉は、ある意味無神経で無責任な発言にも捉えれます。
真意はどうあれ、人が人に何かを伝えるって単純そうで難しい事だと思うから。
そんな試行錯誤や挫折や絶望の末に、僕達にとっての成功が見えてくる訳です。
暗く長いジメジメとした道を、灯も無しに歩き続けた先にやっと、やっとの思いで光明が指す訳なんです。
…まぁここまで言っておいてなんですが、成功や失敗なんて自分次第でどうとでも捉えれますから。
他人からの判断よりも、深い部分は自分のみの判断で良いと僕は思っています。
何を以って成功とするか、何を以って
失敗をするか。
この二つをしっかりと意味付け出来た先にこそ、天竺はあるのかもしれません。
天津 翔の写メ日記
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No.94 失敗と成功天津 翔