責任の話ねぇ。
他責と言うのはあまりピンと来ないですが、自責の念は人よりつよく持っているかも。
そういう風に育ってきたし、何かを背負ってそれでも前に進んで笑ってるおじいちゃん2人の背中を見てきたからなのかも。
全ては自分の選択の結果。
泣いても笑っても、裏切られても裏切っても、ちゃんと自分の中で落とし前をつける。他人にどうこう言われた所でその意志は変わりようも無いくらい重く鎮座させていた様に甘えます。
考え方が凝り固まっている。頑固者。古臭い。
色々な言われようかありますが、必ず尊敬はしていました。
これは俺の人生なので、同じ道を歩むつもりはありませんがおじいちゃん2人が僕に残してくれたモノはしっかり受け継いで行くつもり。
いわゆる『自分のケツは自分でふけ』と言うやつですね。
身の丈以上の事を望むなら、人様に頭を下げろと。
自分1人じゃ抱えられる限界もあるんだから、それを無理にするなよ、と。
そんな風に今は理解しています。
確かに僕は性格上(潜在的にも)人に頼る事はあまりしません。全面的に信頼する事がそもそも難しいのです。これは生まれ持っての性質でもある。
だからこそ、一度信頼や安心をすればその気持ちはずっと静かに燃えたままなんです。
これは過去の自分がしてきた行動を見てもそう。
少しくらい自分が損したって、自分が大切にしている相手の為になるなら良いんです。
中学の頃までは、ほとんど損得感情で動いていてこんな風に考えている祖父を受け入れる事は出来ませんでした。
しかし、2人の葬式を終えた後、残った人々の眼差しを見て考えが180度変わった気がします。
間違って居るかも知れない。でも間違っていても、自分が納得するなら良いんです。
自分が納得出来て、後ろに下がる事が無ければ僕はそれで良いじゃないかと思っています。
ですが、僕だって完璧ではありません。
ちゃんと人を見ています。その上で信頼出来る事を積み上げて行きたい。
与えられた優しさは、倍返しどころかメロンを付けてお返ししてあげます。
それが僕の天性だと思うし。
実際、他責にしてしまいたくなる事なんか腐る程あります。
全てを抱えるつもりはありませんが、自分で出来る事を広げていけば、些細な事ではブれないようになってくるのかな。
ここはまだまだ勉強中なので、お茶を濁しまくっておこう。ついでに茶柱も立てておこう。
そんな感じ。
↓↓↓
【Lit.Link】
https://lit.link/unmomoamatsu
天津 翔について様々な記事を纏めています。
【アンモモンプートア公式サイト】
https://unmoment-pourtoi.com/list/profile/?cast_num=102
【天津 翔公式Twitter】
Twitter:@unmomo_amatsu
天津 翔の写メ日記
-
No.91 自責と他責天津 翔