2章の続き。
…まさか自分が最後の大会に出場する事すら出来ないなんて。想定してもいなかった。
この日以降、監督はやるせない顔で練習に参加している僕を見つめていました。
僕は内心憤怒で満ち溢れていました。
『なんの為に練習しているのか』『俺がいなくて勝てるはずがない』そんな事ばっかりを考え。頭の中が暴発しそうなくらい苛立っていました。
そして迎えた最後の大会。
結果から言えば、彼らはベスト8にもなれなかった。
しかし、この頃の僕はと言うと頭の中が冴え渡り、清々しい気持ちで試合の運びを観察していました。
絶対に行かないと決めていた’’ベンチ外’’での応援にしっかりと駆けつけ、声を上げずとも心の底から彼等を応援はしていました。
腐っても仲間。辛い練習を一緒に成し遂げ、時には共に叱られ、喧嘩をして来た仲間達を見捨てて不貞腐れる様なマネはできなかったのです。
大差で負けた後、誰よりも泣いていたのは僕でした。
チームのキャプテンにも『お前が居れば絶対に決勝までは行けた』と大人になった今でも時たま言われる事があります。
エースと監督にも似た様な事を言われました。後悔先に立たず。何を思っても最後に大会を外された惨めな気持ちは変わらないし、僕の今後の人生をも鑑みて英断をした監督の意志を尊重したい。
そんな長いようで短い中学自体の野球経験でした。
その後は高校へと進学。一年だけ陸上部へ入り、顧問と揉めた後すぐさま退部。
自分が認めていない先生に指図される事が屈辱で仕方無くて、いつも反発していたのを覚えています。母親には本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。
その後硬式の野球部では無く、軟式の野球をしてみないかと友人に誘われ入部。
そこには大学のサークルの様な感覚で野球を楽しむ人が多く、指定のユニフォームや厳しい縦社会は存在していなく、誰もが自由に野球をしていました。
僕はそこで『自分の野球人生はここまでなんだな』と半ばやるせない気持ちになっていたように思います。
しかし、プロの野球選手を目指していた訳でもないし、その頃には新しい趣味が僕の興味を根こそぎ持って行ってしまったので、これで良いんだと今は思っています。
未練は無いと言えば嘘になるけれど、野球を通じて見た社会。仲間との信頼関係。何かに打ち込む熱量は今も僕の中で生きてる。
ちゃんと記憶も記録も存在してる。まだまだ大人になる途中だけれど、また自由にグラウンドを駆け回りたいなー。
どう??
少しでも野球に興味が湧いた?僕にも興味を湧いてくれた?
長いようで短い三部作、これにて完結です。
コメントちゃんと全部見てるよー。
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