しかし。
僕が想像していた強豪校とは違く、何か実力が物足りたい。先輩の中には何人か目を見張る人が居た記憶があるけれど、同期の中には1人もいなかった。
誇張無しで、自分が1番上手いと思ってしまった。
そこで僕は軽く絶望しました。『自分達の代で地区大会や市大会で優勝出来るのか?誰に舵を任せれば良い?』と。
僕はその日から段々と練習を蔑ろにしていきました。
先輩とも同期とも良好な関係を築けていたので、野球において誰かが僕を馬鹿にする事はありませんでした。練習への参加態度も言われた事が無かった。
だってどれだけ練習をサボっても結局は僕がメンバーをもぎとって、レギュラー入りを果たしていたから。
中学2年の春休みなんかは丸々サボった事もある。
こう見たら、すごーく嫌な奴ですね。自分が。
ろくに練習もせずに勉強も練習もサボっている奴が実力だけはある。
一生懸命毎日真面目に練習しているメンバーの気持ちを考えると、今すぐ過去に戻って、自分に強めのゲンコツを3発くらいお見舞いしたくなる。
しかしそんなサボり魔の余裕も、中学3年に上がる頃にはすっかり無くなりました。
いつもの様に調子に乗って練習へ参加してみると、今まで打てた球が打てなくなっている事に気づく様に。
更に、今まで捕球出来ていた球が捕れなくなっている。
他のメンバー達は難なくこなしている日々の練習メニューが、僕からすれば全て苦行に感じる。
『練習ってこんな難しかったっけ?周りの奴らってこんなに上手かったっけ?』
当然僕の内心は焦りを通り越して苛立ち始めていました。
そんな日々を悶々と過ごして行くと、ある日監督から直々にお呼ばれがかかって。
『最近あいつら上手くなったやろ?このまま今みたいに練習サボってたら、最後の大会でお前をメンバーから外す事になる』
いつもは厳しい監督が、何故か穏やかに、しかし厳しい口調で僕に心情を吐露していました。
実力は確かにある。しかし、練習態度等を鑑みると最後の大会には真面目にやってきている連中を起用したい、と。
今の僕の頭では理解できるし、納得も出来ます。
しかし、当時の自分は微塵の理解も示さず、沈黙を貫いてその場を後にしました。
そして、当たり前のように次の日から練習をサボる毎日。
何故実力が上の僕が『真面目』と言う美徳に負けないと行けないのか。当時は全くわからなかった。理解しようともしなかった。
自分で培ったモノ、培った方法、培った時間を他人の『美徳』で塗り潰されるのがどうしても納得出来なかった。
そんな生活を送っていると、当然僕は最後の大会のレギュラーどころかメンバーにすらなれませんでした。
円陣を組んで、最後の大会のメンバーの背番号が20人まで渡される瞬間。
僕はどうやってもメンバーに入る自信があったので、まさか自分が外されるなんて予想の’’よ’’の字すら頭の片隅に無かった。
しかし、外された。堂々と。大衆の目前で。
恥ずかしい。悔しい。困惑。
色んな感情が爆発しそうで、円陣を解いた瞬間、無言でバッドとグローブを持って部室へ帰りました。
かなり長くなっちゃうな。
またまた続きは今度の日記へ。
刻んでくよー。
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