「気持ちいいかどうか」は感情の問題で、
「間違っていないかどうか」は論理の領域。
どちらかだけじゃ、誰かと深く関わるのは難しい。
身体に触れることひとつとっても、
優しさだけでも、上手さだけでも足りない。
たとえば、指先で肌を撫でるとき。
相手がなにも言葉を発さなくても、
触れられて嬉しそうか、不安そうか、
息遣いや微かな表情でわかることがある。
そういうとき僕は、感情を信じる。
でも、それだけじゃダメなんです。
「これは今、正しい触れ方だったか」
「傷つけていないか、置いていっていないか」
そうやってちゃんと考える。
感じて、考えて、その両方があって初めて
誰かと深くつながれる気がしています。
世の中で人に信頼される人や、
愛される人ってたぶん、
感情だけで動かず、
論理だけに縛られもせず、
どちらのバランスも上手く保っている人。
僕が女性の身体に触れるという
この特別な仕事をしていて思うのは、
「善悪」は人の心が決めるし、
「正解・不正解」は頭で導き出すものだということ。
そして、誰かの“安心”や“信頼”に届くには、
そのどちらも持っていないといけないということ。
ときには優しい言葉で心をほどき、
ときには何も言わずに肌で語る。
呼吸の音も、瞳の揺れも、手の震えも、
全部まるごと感じとりながら、
それをちゃんと整理して向き合っていく。
エロって、ただの刺激じゃない。
むしろその手前にあるたくさんの“確認”や“信号”を
どれだけ見逃さずに拾えるかで、
どれほど深く快感が届くかが決まると思うんです。
善悪と正誤。
心と頭。
僕はどちらか一方に偏らず、
あなたのそばで、バランスをとりながらいたい。
触れることも、言葉をかけることも、
全部、そこから始まっているのかもしれません。
松井 蓮の写メ日記
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感情と論理松井 蓮