セラピストはお体を触らせていただくだけでなく、
お客さまからたくさんの言葉を受け取ります。
また、自分の言葉を受け取ってもらう機会も多いです。
エロにおいても言葉のやり取りにおいても、
大胆さと繊細さ、両方が必要だと思う。
だからこそ、この文章に出会い、今読めてよかった。
というものがあるので紹介します。
『世界の適切な保存』 永井玲衣
短いエッセイが集められた単行本。(僕は小説よりエッセイが好きです)
小題、「届く」
以下引用です。今回は僕の写メ日記というより、引用だけで終わります。
普段本を読まない人にも届いたらいいな。
「伝えるということは、わたしがあなたのところまで歩いていくことである。いや、あなたの中まで入り込んで、じたばたすることである。それが手紙やデジタルメッセージであったとしても、わたしから切り離された何かに情報を載せるのではなく、わたしをわたしから削り取って、あなたの中にまで入り込もうとする。
だから伝えることは、本質的にあなたの領域を侵すことである。それはとんでもない試みだ。どんなに注意を払ったとしても、あなたの魂に腕を突っ込んで、わたしの欠片を届けようとすることになる。あなたの魂は、わたしの熱い腕でびりびりに破けて傷つくことだろう。
わたしたちの心は、思いは、原理的に伝わらない。だが、届いてしまうことはある。届いたことを感じられるときがある。届けられてしまったと、痛む魂をふるえる指でおさえるときがある。あなたの思いのすべてはわからない。だが、あなたの腕がわたしの魂に入り込んだ、その痛みを感じている。あなたの欠片がわたしの魂の奥まで分け入ってしまって、もう自分では取り出すことができない。指でまさぐって探すが、ひどく狭くて見つけられない。なぜあなたはこんな場所に入り込めたのかと、不思議にさえ思う。
『わかるよ』『伝わった』などといった軽率な言葉を返すことを、わたしたちはおそれる。だから『わかる気がする』と言ったりして、何とかもがこうとする」
(中略)
「だがやはり、言いたくなる。
『伝わったよ』
本当に伝わったかどうかなんて、わかるはずもないのに。それなのに、言ってしまう。
あなたの差し出した欠片が、わたしの中にやってきて、とどまっているということ。何かは完全にはわからないが、たしかにそれがわたしにやってきたということ。そういうときにこそ『伝わった』『わかった』とわたしたちは言ってしまう。あなたが入り込んだせいで、わたしの魂はずきずきとした痛みを感じている。
洋梨にナイフを刺せば抱擁の名残りのように芯あたたかし (東直子)
やわらかく果汁がしたたる洋梨にナイフがじっくりと刺し込まれるように、わたしの魂にあなたが届く。それはどんなにやさしく刺し込まれたとしてもナイフであり、異物である。しかし、抱擁の名残りのようにあたたかさを感じる。
あなたとわかりあうことはできない。わたしの痛みと、あなたの痛みは違っている。共有することはできない。だが泣きたくなるようなあたたかさを感じている。あなたの何かがわたしに届いてしまったことだけがわかる。そのかぼそいあたたかさの記憶だけで、わたしたちは生き延びることができる」
中原 ふゆきの写メ日記
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届く中原 ふゆき