「人は見た目が9割」も、
「見た目は関係ない」も、
どっちも違うと思う。
ルッキズム、難しい問題です。
ルッキズムから解放されたい気持ちも、
自分の中にルッキズムが根を下ろしているのを認めてしまいたい気持ちも両方ある。
ルッキズムは現代社会に降り続ける雨です。
「痩せている方がいい」
「二重の方がかわいい」
「背は高い(低い)方がモテる」
「女は化粧して当たり前」
そんな言葉や思想が雨粒になって、
僕らの頭上に絶えず降りしきっている。
もちろん男性もルッキズムの雨に曝されていますが、
女性に比べてそこから身を守る傘が多い気がします。
「(太ってても)頭がよければ」
「(地味でも)運動神経がよければ」
「(背が低くても)お金を稼げれば」
「(イケメンじゃなくても)子育てに積極的であれば」
たとえ見た目がいまひとつでも、
他にその人を評価できるものが何かしらあれば、
それが傘になってルッキズムから守ってくれる。
女性は(残念ながら、いまだに)そうじゃありません。
いくら頭がよくても、
いくら才能があっても、
いくらお金を稼いでも、
いくら子育てを頑張っても、
それ「プラス」綺麗なこと、可愛いことが求められる。
男性は「見る側」で、女性は「見られる側」。
そんな意識がまだ根強いのかなぁと思います。
(少しは変わりつつある、と思うけど)
この夏のパリオリンピックで、「美しすぎる」ハードル選手が話題になりましたね。
インタビュー動画が流れてきたので見てみましたが、たしかにびっくりするほど美人でした。
でも美人すぎるのも考えものです。
注目は浴びるけど、ルッキズムに依拠するだけの基準でしか見てもらえない。
他にいくつもあるはずの長所がただ「美しいこと」にかき消されてしまう。
それはそれで、窮屈な気がする。
僕はあなたの傘になりたい。
見た目がいいと思ったら、もちろんたくさん褒めてあげたい。
綺麗だと思ったら綺麗と言うし、可愛いと思ったら可愛いと言いたい。
(見た目を褒めるのが即セクハラ、も違うと思うんですよ。これはまた別の話)
もともと持っているよさにも、努力して手に入れたよさにも気づきたい。
あなたがほしいと思った綺麗さ、可愛さをちゃんと見たい。
でもそれと、「見た目と関係ない長所」をしっかり分けて考えたい。
あなたがもし、ドがつくほどの美人だとしたら、美しさに隠れて誰にも気づいてもらえない内面のよさに気づきたい。
もし、誰にも見た目を褒めてもらえないとしたら、それとあなたの存在価値とは別だと伝えたい。
あなたの中に絶対にあるはずの長所を知りたい(内面も、外見も)。
社会の目ではなく、ルッキズムの目ではなく、僕の目であなたを見たい。
一緒に雨宿りしようね。
ふゆきでした( ´◡‿ゝ◡`)
中原 ふゆきの写メ日記
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No.150 ルッキズム中原 ふゆき