映画『悪は存在しない』を観た直後だったらその話をしたかったところですが、
けっこう時間が経っちゃったのでもう賞味期限切れかなぁ。
というわけでアドリブで「悪」について書いていきます(いつもアドリブ)。
悪者、悪人、悪役…
どんな物語にも必ずと言っていいほど「悪」は存在します。
勧善懲悪のストーリーがいちばんわかりやすいからです。
でも意外と、「悪」が「悪」でしかない物語も多くないと思います。
アンパンチで空の彼方まで吹っ飛ばされるバイキンマンも、意外と純粋な心を持っていたりしますもんね。
最近の漫画だと、
『鬼滅の刃』では「鬼」、
『呪術廻戦』では「呪霊」と呼ばれる存在が
巨大な「悪」として描かれますが、
鬼にも呪霊にも歴史や物語があり、
悪役に感情移入することも多々あります。
みなさんの周りに「悪人」はいますか?
嫌いなやつ、いやなやつ、許せないやつ、
いろいろいるとは思うけど、
はっきり「悪人」と言える人って
案外一人もいないんじゃないでしょうか?
僕の周りにはいないです。
じゃみんな善人かっていうとそれもわからない。
「善人」と「悪人」がいるんじゃなくて、
いつ、どんな相手と一緒にいるかによって
誰でも善人にも悪人にもなりうる。
そういうものなのかなと思います。
たとえば、結婚していたり、
一緒に住んでいるパートナーがいる人。
四六時中一緒にいる人に対して、
ずっと善人でいることは難しいですよね。
裏切ったり、不機嫌になったり、
不満になったり少し嫌いになったり、
そういうことがあって当たり前。
相手が悪人に見えることもあるかもしれない。
けどそれも、相手の一部がそう見えるだけで、
自分も相手もすっかり悪人になったわけじゃない。
結局、関係性の問題です。(これがいちばん難しいんですけど…)
女風における関係性はどうでしょうか?
お客さんとセラピスト、
セラピストとセラピスト、
お客さんとお客さん、
いろんな関係がありますよね。
とくにお客さんとセラピストの間にはお金が介在します。
お金が間に入るから。
それだけじゃないけど、きっと一緒にいる間は、
お互いがお互いに対して精一杯「善人」であろうとすると思います。
日常で、誰かに対して100%善人になれることって多くない。
そういう意味でも、女風でのひとときは非日常なのでしょう。
もちろん上手くいかないこともあるかもしれない、
関係性のねじれの中で
誰かが誰かの悪人になってしまうこともあるかもしれないけど、
一緒にいながら心ゆくまで善人になれるのって、
お互いとても幸せな時間ですよね!
「悪」の話のつもりが「善」の話になっちゃいました。
こんなにながーい日記をいつも読んでくれてありがとう。
ふゆきでした( ´◡‿ゝ◡`)
中原 ふゆきの写メ日記
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No.106 悪中原 ふゆき