言葉ってなんだろう?
僕の永遠の問いです。
言葉を彫ったり
書いたりしたら「文字」になる。
喉を通せば「声」になる。
体系を与えれば「言語」になる。
人間の言葉には体系があり、
だから動物の言葉とは違うという。
クジラはコミュニケーションを取るかもしれない。
でもそこに体系、言い換えれば、システムはない。
人間の言語にはシステムがある。
音のシステムを音韻といい、
文字のシステムを表記体系という。
それじゃ人間の言葉は、
手で書いたり、
書かれた文字を読んだり、
耳で聞いたり、
口から声にして出すだけのものだろうか?
僕も長いことそう思っていた。
でもそうじゃない。
たとえば手話。
声がなくても、手や顔を動かせばそこに、
記号が、体系が生まれる。
それはやがて言語になる。
手話はもともとろう者(耳の聞こえない人)たちのための言葉。
だけど、手話にはさらに「触手話」というものもあるらしい。
触手話は、盲ろう者(目も見えず耳も聞こえない人)のための言葉といわれる。
お互いに手を差し出し合って、
触れ合うことで、手話の単語を表出する。
目でも見えないから、触ってたしかめる。
人間の言語には体系が、
システムが、ルールがある。
ルールが必要なのは、お互いに安心するため。
でも、だったら、
お互い安心できているのであればルールはいらない。
体系がなくても、言語じゃなくても、
「言葉」は紡ぎ出せる。
言葉は伝えるもの。伝わるもの。
想いを伝えるために使うものであり、
伝えるつもりの想い以外も伝えてしまうもの。
言葉をもっと、大きく捉えたい。感じたい。
想いが伝われば、そこには言葉がある、ということ。
だったら口で喋らなくても、
ひとつも単語を知らなくても、
たとえば手のひらから伝う温度で、
呼吸を映し出す視線や表情で、
生まれたての「言葉」を作れるんじゃない?
僕がセラピストをやっているのは、
その可能性を追求するため、
でも、あったりします。
言葉は人。
僕が言葉になって、
伝えたいものがたくさんあります。
中原ふゆき
中原 ふゆきの写メ日記
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No.38 文字と言葉中原 ふゆき