2024年1月5日。
この日が、僕が研修生としてセラピストになった日です。個人的記念日です。
そして僕が女風の世界に入った「2024年1月」は本当にいろんなことがありました。
極寒のホテル街で迷子になったり、いち早く成長したくて潤さんにくっついてまわったり、食中毒で死にかけたり、倉庫で夜勤の力仕事をしたり、そして冬馬や凪と初めて出会ったのもこの頃です。
今回の写メ日記では、研修生としてセラピストデビューしたばかりの「ドタバタ2024年1月」を振り返ります。
『俺、女風セラピストになろうと思ってるんだ』
去年の年末、新橋の高架下にある小汚い居酒屋で、僕は一番の親友に打ち明けました。
「ふーん、いいじゃん。やってみれば」
親友の反応は、思った通りでした。偏見もなく、嫌味もなく、かと言って、風俗業に対する変な好奇心もなく、フラットに受け入れてくれました。
そんな親友に背中を押される形で女風業界に飛び込んだ僕。
初月に頂いたご予約は計5件!すべて研修生無料枠でのご対応です!
初めてのご予約は、ドキドキ&ワクワク&心臓バクバクでよく分からない感情。どんな顔をしていいかもよく分からず、よく分からない顔で待ち合わせに向かい、よく分からない顔で「こんばんは、山田えいとです」と名乗ったのを覚えています。
初めてのご予約は歌舞伎町だったのですが、今でも忘れません。僕はテンパリすぎていて、目的のホテルに辿り着けずに、極寒のホテル街で迷子になってしまったのです!お客さんと一緒に!あの時は本当に申し訳なかったです。。
Googleマップを片手にうろちょろ。ホテル街は事前に下見していたはずなのに、緊張のせいか迷ってしまいました。頭の中では、スマートにエスコートしているイメトレは完璧だったのに。情けない話です。
そんな形で、僕のセラピスト人生はスタートしました…。
いち早くセラピストとして成長したかった僕は、潤さんが東京に来られる度に、できるだけくっついてまわりました。なるべく潤さんの知識や考えを吸収しようと思っていたからです。
その頃に出会ったのが凪と冬馬です。
凪は、常に落ち着いていてめっちゃかっこいい人だな〜、というのが第一印象です。
ちなみに初めましての日に、いきなり凪と二人でお風呂に入ったのが懐かしいです。(パウダー講習のため)
アンモモの先輩として出会った初めての人だったので、いろいろと質問させてもらって親身に聞いてくれたのを覚えています。その頃は「凪さん」と読んでました。今では一緒にせらぴ三兄弟をやってるけど!
次に冬馬と初めて会いました。
やけに身長が高く、やけに笑顔が素敵で、やけにイケメン。こりゃあ参ったな………というのが第一印象です。
最初はちょっと物静かな人なのかな?と思ったのですが、話してみると同い年だと分かり、すぐに打ち解けたのを覚えています。
こうして頼れる仲間も出来て、嬉しいな〜〜〜とニヤニヤウキウキしていた矢先………
食中毒になりました!!!!!!!!
なんで!!!!!!!!
1月下旬ごろです。
その頃は、元々やっていた本業の割合を減らしていたので、一時的に収入が減ってしまっていて、生活費のために夜勤の力仕事もしていました。
そのせいなのか、きっと免疫も下がっていたのでしょう。
思いっきり身体を壊してしまい、わりと本気でしんどかったです。
経口補水液やポカリを飲んでは吐いてしまい、それを繰り返して、ついには脱水で気を失いかけました。僕は一人暮らしだったので誰かを頼ることもできず、「あ、死ぬかも…」と思ったのは人生初めてでした。半ば地面を這いつくばる形で近くの病院まで行き、点滴を投与してもらって、そしてやっと回復しました。
あの時はしんどかったです。というエピソードはここまでにして。
まあそんなこんなで、セラピストデビュー初月を乗り切ったわけです。
今振り返ってみると、いろんな人たちに支えられてセラピストを始められたんだなと感じます。
みなさんに本当に感謝です。
次回の日記では、【女風1年目の振り返り Part.2】でその後の出来事について書こうと思います!
※ちなみにこの写真は、僕の一番最初のパネルです…!
山田 えいとの写メ日記
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【女風1年目の振り返り Part.1】研修生デビュー/ラブホ街で迷子/食中毒で死にかける山田 えいと