お金が落ちていたら、三度見してから考える。
どうも山田えいとです。
こういうお題は面白いですよね。
落ちている金額によっても行動が変わってきますよね。
例えば100円。道に落ちていたら。
これは拾って自分のものにしますね。
はい、もちろんです。100円って、僕にとってはデカいです。1食分です!もらっちゃいます!すいません!
次に、1万円。道に落ちていたら。
うーん、これももらっちゃいますね。はい。周りに持ち主らしき人がいないことを確認して、完全に落ちていたら、しれっと懐に入れちゃいます。
次は10万円。道に落ちていたら。
ここら辺から雲行きが怪しくなりますね。さすがに怖い。え?ドッキリ?、モニタリング?みたいに勘繰ってしまいそうです。しかも10万円ってことは、きっと封筒に入って落ちてるケースです。これはさすがに交番に届けます。さすがにです。
次に100万円。道に落ちていたら。
5度見くらいしてから、お金の周りで1人であたふたします。そして落ち着いて、お金をじっと眺めたり、お金の前で踊ったりするかもしれません。そして最後には怖くなって警察に連絡しちゃうかもです。
と、ここまで金額別に考えてきましたが、難しいのが、金額が刻まれているケースです。
例えば4万円。迷うラインです。4万か〜。さすがに金額デカいよな〜。でも、落ちてるしな〜、完全に落ちてるんだよな〜。
これが3万円でも5万円でも迷うと思います。
じゃあ7000円で迷わないかと言われたら、これも迷います。
これって、つまり「ハゲ頭のパラドックス」に近いです。
定義や境界線が曖昧な概念をどう扱うか、という問題のことです。
毛が1本→これはハゲ頭
毛が2本→これもハゲ頭
毛が3本→これもハゲ頭
じゃあ、毛が100本→これもきっとハゲ頭
じゃあ、毛が1万本→これもきっとハゲ頭…?
つまり、どこまでがハゲ頭で、どこからがハゲ頭じゃないのか。境界線がハッキリしない訳です。
「落ちているお金を交番に届けるべきか」という議論があったとして、まず重要なのは、倫理観の議論よりも、ハゲ頭のパラドックスに議論の参加者全員が気付くことです。
私たちは曖昧な概念について話し合うんだ。ということを念頭に置かないと、議論の終着点を見失いかねません。
これがハゲ頭のパラドックスです!
面白いですよね、哲学っぽいですよね。
以上、今日の写メ日記でした!
ぜひコメントで、ご意見を聞かせていただきたいです!
山田 えいとの写メ日記
-
No.36 お金が落ちていたら山田 えいと