歴史に名を馳せる文豪たちは、射精の、その瞬間にも高尚なことに頭を悩ませていたのだろうか。
おそらく、答えは否だろう。
かつての文豪がどんな高尚な仕事をしていようが、彼等も一動物に過ぎないんだ。
虚無がどうだとか、
実存がどうだとか、
愛がなんだ、
罪がなんだ、
至高の美しさとはなんだとか…
たとえ、どんなに高尚な悩みに耽ったとしても、腹は減るし、あくびも出るし、性の衝動には逆らえない。彼等にとって射精とは、理性から解放される瞬間なのだ。
それは同時に、僕や貴女にも同じことが言える。
僕等は社会生活の中で、理性の檻に囚われている。貞操を守り、道徳的に振る舞うことを強いられている。
だが、僕等が、そして貴女が、その頭でロックしている貞操を解放したとき(つまり野生の解放)、貴女は宙に浮く。浮遊する。
仕事、人間関係、お金、結婚、家族、友人、常識、この鬱陶しい世界のあらゆる理性からの逃走を図るのだ!!
それは即ち、身体感覚と向き合うことに他ならない。身体の幸福、身体の紅潮。それが精神の幸福、精神の紅潮にも繋がりうる。
きっと僕等の本当の幸福は、野性に帰ることでのみ満たされるのかもしれない。
山田 えいとの写メ日記
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[徒然]野生のすゝめ山田 えいと