よく落ちてるけど
ラッキー!って感情だけもらって
拾わないことがほとんどですね。
モモこと桃田誠司です^ ^
現金を素手で触ったあとは、なるべく手を洗いたい人間です!
別に潔癖症とかではありませんが、出来るだけ洗いたい。
そんな人間なもので、落ちてるお金は基本的に拾いません。
と、言いながらも500円以上だと拾う気がする...
と、言いながらも遺失物横領の罪に問われるのは嫌なので拾いません。
と、言いながらも...
という永遠のループ。
法律など気にせず、個人的な考えを言うと
誰かの管理不足で道端に落ちてるお金があれば、
拾ってコンビニとかの募金箱に入れるか、
神社の賽銭箱に入れたいですね。
誰かの救いになりたい!とかそんなかっこいいことを言いたいわけじゃありません。
ただ、もったいなく感じる。
共通の価値をもって交換されるお金。
その価値あるものが、ただ地面に落ちてるだけなら。
誰かに拾われて、命を救うお金になるかもしれないし
ジュースを買うお金になるかもしれないし
詐欺するためのお金になるかもしれないし
川に落ちて、自然にかえるかもしれないし
いろんな旅先があるとは思うけど
良いことしてくれそうな、賽銭箱や募金箱に入れたい。
そっちの方が、お金も喜びそう。
と、書いてる自分を
「エゴだなー。決めつけてるなー。」
って感じました...
今僕は、お金の価値を自分の価値観で決めつけてしまった気がしました。
書いてて、そう感じました。
誰かがジュースに使う100円だろうが
投資に使う100円だろうが
詐欺に使う100円だろうが
川で水切りとして投げられる100円だろうが
落ちてる100円だろうが
募金箱や賽銭箱に入れられる100円だろうが
100円の価値な変わらないし
誰かの、何かのためにはなってる。
それなのに、僕は
募金箱や賽銭箱にいれられる100円の方が
価値があるだろう!
そっちの方がいいだろう!
と勝手に決めつけて、判断してしまっていたんです。
これはどうなんでしょうか。
↑問題提起系写メ日記
お金って、モノやサービスの価値を、共通認識するためにできたものじゃないですか。
「この壺は田んぼ10反分です。」
「いや!この壺はどんぐり1個分です!」
みたいな、人によって捉え方が変わる価値を、分かりやすく定量化してくれたもの。
それでも、結局モノやサービスの価値は個人が決めるもので
女風に使う
ごはんに使う
旅行に使う
その人の中で、優先順位が高い。
重要度が高い。価値の高いと判断されたものと交換されるだけ。
ってことは、拾った僕が
価値があるものだと判断したんやから
募金箱か賽銭箱でええんか。
↑自己解決系写メ日記
僕の考える過程が、文字になった写メ日記となりましたが
少しでも物事が上手くいく。
人に迷惑をかけない範囲で、自分の心がハッピーでいられるよう、都合よく解釈する癖があります。
その癖や、考えの過程や、僕の視点が
この「写メ日記」という媒体で伝わればな
と思っています。
「僕は善人です!」
と言う人より
「僕は人の幸せのために頑張る人を、全力で応援する人間です。」
と言う人の方が、善人ぽく見えます。
言ってることよりも、思考が見える方が、信憑性が高いんじゃないかな。
考えの過程や、着目点、捉え方が浮き彫りになる「写メ日記」はとてもいい判断材料にはなると思います。
ただ、良くも悪くも表現を変えられてしまう"言葉"には変わりないので
どこまでいっても、判断材料のひとつ
にしといてください。
何よりも人を成長させる
"経験"になるべくお金はつかいたい。
モモでした^ ^
最後まで読んで頂けた方は先頭の♡を!
感想や書いて欲しいテーマがある方はコメントを!
よろしくお願いします^ ^
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桃田 誠司の写メ日記
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#2 No.36 お金が落ちていたら桃田 誠司