『死』はひとつの期限
残るのは生き様ときっかけ
桃田誠司ことモモです。
在宅の医療者だったこともありいろんな方の死を間近で見守ってきました。
犬2匹と猫4匹ペットにも恵まれてました。
すぐ近くに住んでたおじいちゃんおばあちゃん
特におばあちゃんは本当によく遊んでくれました。
田舎の庭で好き放題だったので、新聞などを燃やしてよく火遊びをしていました。
火にキンチョールをかけると良く燃えると教えてくれました。
お陰様で火の扱いと恐ろしさを幼少期から学ばせてもらいました。
今月で30歳になりますが同級生で亡くなった方も何人かいます。
全く同じ名前の中学時代の仲間は白血病院で
高校時代の応援団仲間は海外留学中に交通事故で
大学時代の国家資格仲間は家のベランダから。
自分で選んだ死や、寿命による近づいてくる死
突然のように現れる死
本当にいろんな死があると思います。
僕は幸か不幸か死を経験したことがないので命を失う側の気持ちは分かりません。
ただ、大切な方に死なれるという経験はさせてもらってます。
高齢や病で亡くなられる、死が近づくことを体感できる方にとっては死はひとつの期限のようで
死ぬのを待つだけや。と言う方もいれば
死ぬまで絶対〇〇する!というゴールのように設定している人もいました。
亡くなってからその方との記憶が変わることはありませんが
亡くなるまでの記憶は大きく変わります。
特に僕にとって
死ぬまで◯◯する!と本気で全力で泥臭く生きる方には感銘をうけます。
たぶん僕だけではないはずです。
以前に大好きだった片足のおばあちゃんの話を写メ日記にしたと思いますが
あのお方も、ものすごくカッコよかった。
身近な人に死を見せまいとしたのか
死ぬ直前に目の前から突然いなくなった
猫たちも、ある意味カッコよかった。
その方の生きるエネルギーは減っているのかもしれないけれど
僕たち生かされるものの生きるエネルギーは確実にあげてくれていました。
そのカッコいい生き様は人によっては転職や環境を変えるきっかけになることも。
表面的には生き様を見せていなくても
確実に存在していた命の生き様を、間接的に知ったことが僕にとっては大きなきっかけになりました。
僕は3人兄弟の1番下ですが
僕と真ん中の姉との間に、もう一つ小さな命が母のお腹にいたことがあったそうです。
母のお腹の中から出ることはありませんでしたが、彼女は確実に母のお腹の中で生きていました。
僕がこのことを知ったのは中学1年生ぐらいだったと思いますが
そのことを知ったとき、そのお姉ちゃんが生まれていたら自分は生まれていたのかと考えたことがあります。
もしかしたら自分はこの世に生まれていなかったのかもしれないと思ったとき初めて
自分は生かされたと思いました。なんならそのお姉ちゃんの分まで生かせてもらってると感じました。
これは僕にとって本気で生きるひとつのきっかけになりました。
死をネガティブに捉えることもあるかと思います。確かに大好きなお母さんやお父さんが亡くなることを考えるとなんとも言えない感情になります。
ただ生きてる以上確実にくる死
その期限まで全力で生きること、また全力で生きる人を全力で応援することが僕の生き様です。僕なりの。
全力でお悩みの方はご連絡ください。
桃田誠司ことモモでした^ ^
桃田 誠司の写メ日記
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No.108 死桃田 誠司