キィ。
ガラスがはめ込まれた木製の古い扉が音を立てて開く
蝶番が古くなっているようだが建て付けは悪くない。
『おひとりですか?』
男性店員が声をかける。
いらっしゃいは言わなかったのか、扉の音にかき消されて女性の耳に届かなかったのかわからないが彼女にとっては特に気にすることでもなかった。
『はい、ひとりです。大丈夫ですか?』
『もちろんですよ』
店員は年季が入ったカウンターの中から優しく言葉を発した。そして無言で手を椅子の方に向け、”どうぞ”と合図をする。
店内はすこし暗がりであちこち古くなってはいるがオーナーが愛着をもって使っているのが女性からの印象を良くした。グラスは綺麗に並べられていて、延長コードから接続された簡易的な間接照明がある種のゆるさを醸し出しているし、バー特有の最早いつから置かれているかかわからない長年放置されたであろうウイスキーたちの瓶にも埃が積もっている様子はない。棚卸しの際に掃除をしているのか、オーナーの細やかな気配りが見て取れる雰囲気だ。
彼女は椅子に座り黒い革のポーチから携帯とタバコを取り出しカウンターの上に置いた。それに呼応して店員はバウムクーヘンのように重なった灰皿からひとつを手に取り、女性の前に置いた。
『何にしましょうか?』
女性は少し悩んで、ラフロイグのソーダ割を頼んだ。
お礼を言ってグラスを受け取ると何度か口に含み、正露丸…もとい、鼻から抜けるスモーキーな香りを楽しみつつチャームのミックスナッツをつまんで食べている。
『美味しい』
『オーナーのこだわりなんです。市販のものではなくいくつかのナッツやドライフルーツを混ぜてお出ししています』
なるほど芸が細かい。女性は感心しながらタバコに火をつけて大きく煙を吐いた。
『スコッチがお好きですか?』
他に客もいなかったため、何気ない会話を店員は投げかける。
『そういうわけではないのだけれど、ラフロイグはクセになってしまったんです』
『好き嫌いが分かれるお酒ですよね、ハマると他じゃモノ足らなくて』
定番ともいえる使い古されたラフロイグ論を交わしながら徐々に女性の方からの言葉も増えていく。
彼女はこの日、駅の近くで友人と飲んでいたのだが解散したあとに少し飲み足りない気分であったため、次の日が休みなことも相まってせっかくなら少し駅から離れた静かな場所で新しいお店を開拓しようと徘徊していたところたまたまこの店を見つけたようだった。
そして独り言のように呟いた。
『この辺りは駅から離れているしあまり来ないのだけれどバーがあったのね』
気付いたように店員も応える。
『えぇ、オーナーは変わっていないのですが以前のパンデミックでしばらくお店を閉めていたんです、やっと世の中が落ち着いてきたので最近お店を再開しました。僕はリニューアルしてからのスタッフになります』
『そうなの。ところでお店の名前は?BARというネオンサインだけで入ってしまったのでここがなんというお店でどんなお店でとかなにもわからないの。とても不思議な気持ちよ。知らない世界に迷い込んだような。』
店員は少し笑みを溢して女性に話しはじめた。
『実はお店の名前はまだ決まっていないんです。今はプレオープンみたいな形でお客様のご意見も聞きながら決めていこうかと考えています。知らない世界…言い得て妙ですね。もしかしたら本当にお客様は知らない世界に迷い込んだかもしれませんよ』
『名前がまだ決まってないなんて面白いわね、そうなの。ふーん。なにかテーマやコンセプトがあるのかしら』
『女風BAR』
※この物語はフィクションです。 実在の人物や団体などとは関係ありません。
おしまい
葉の写メ日記
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妄想女風BAR葉