僕の両親は共働きでそれぞれが自営業を営んでいました。現在は母親はもう引退したけれど、父親はまだ仕事を続けています。
小さいころは学校行事なんて一度も来てくれることもなく…寂しかったけど子供ながらにしょうがないよねなんて思ってたなあ。今思うとまあまあ酷い親ですね笑
忙しい2人を見て、次第に自分が我慢してうまくいくならそれでいいと考えるように。
叶わない望みなら本当の思いも要望も自分の中に隠していた方がある意味傷つかなくて楽だったのかもしれません。
歳を重ね、高校生になった宮明はよく通っていた服屋の店員さんと仲良くなります。
その人が本当に自由を体現したような人で、話してて毎回腹抱えて笑ってました。今でもたまに元気してるかなって思い出します。それくらい僕にとっては印象深い人でした。
ある日、彼から不思議な顔でこう言われます。
「どうしてそんな我慢してばかりの生き方をするの?もっと自由に生きて良いのに」
これ、なんて事ないような言葉なんですけど、当時の宮明少年には脳天に稲妻が落ちるほど衝撃でした。
「…え?いいの?好きにしても」
もっと自由に生きていいし囚われる必要はない、人それぞれの生き方が尊重されていいのだと気づきものの見方、生き方が自分自身でも分かるくらい変わりました。
その中で性に対しても深い興味を持つようになり、それは最大のコミュニケーションツールだと考えるに至ったわけです。
僕が今この女風キャストという仕事をしているのは彼のおかげかもしれませんね。
我慢をし続けるとそれは無意識下でも行われるようになり、諦めにより思考することも忘れてしまう。
僕はこの仕事を通して、昔の僕みたいに生きている人や生きることから逃れられない人が、僕といる時だけは「囚われない自分」の時間になるように務めたいと思う。
誰かの望むあなたではない、あなたの人生の時を過ごせるように。
楽しくありたいよね!何事も。
それでは、また。
謝謝!
宮明 稜の写メ日記
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春雷宮明 稜