【喜◯哀楽】- 世界(名古屋萬天堂)愛知/性感マッサージ

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世界の写メ日記

  • 喜◯哀楽
    世界
    喜◯哀楽

    世界の皆さん、こんにちは



     



    先日、ラーメン店でカウンターに座っていたら、若いアルバイトの方が冷水の入ったピッチャーを倒してしまい、僕の右膝から下がズブ濡れになる事態に遭遇しました。



     



    こういうのって映画とかドラマのワンシーンでよくありますよね。



    悪役の素行の悪さを表現するために使われていることが多い演出かなと思います。



    「何してくれてんだぁ〜」って店員さんに因縁をつける構図ですよね。



     



    格好つけるわけではないのですが、こういうとき、僕は1ミリもイラッとしないんですよね



     



    そもそもの大前提として、



    「悪意のない不可抗力」ですよね



     



    さらに付随して、



     



    ただの水、衣類が変色することもない



    冷水なので火傷もしていない



    →(実害0じゃん)



     



    当人が丁寧に謝罪してくれた



    その監督者であるオーナーも謝罪してくれた



    →(すごく丁寧なお店、また来たいな)



     



    高校生くらいであろうアルバイトの方の1つの社会経験になったかも



    →(えっ、むしろ他者や社会にプラスかも!?)



     



    って本気で思います。



    超・前向き思考なのは自他共に認める僕の長所です。



     



    詰まるところ、この事象で怒る人って文字の如く「怒」の感情が前面に出ていると思うのですが、



    喜怒哀楽の中で「怒」だけは自分でコントローラブルにできた方が幸福度高いと思うんですよね



     



    自分や大切な人が、明確な悪意に基づいて心身を傷つけられる場合には、「怒」を発生させるべきだと思います‍♂️



    悪意の発信源に対して大きな抑止力になりますから。



     



    でも、それ以外の大多数の場面(つまり悪意がない場合や明らかな不可抗力)で、「怒」を発生させる必要ってないと思うんですよね。



    いや、本当に!!!



     



     



    場面は変わって、どこかのオフィス



     



    上司が部下に向かって大声で叱責しています。



    上司は顔を真っ赤にして、ついには部下の人間性まで否定しはじめました。



    これも日常でよく見る場面ですね‍‍‍



     



    起点として、部下が何か職務上の失敗をしたのは間違いないでしょう。



    ただし、そこに上司の「怒」の感情を乗せる必要は果たしてあるのでしょうか?



     



    僕も曲がりなりに自分で部下を抱えて事業を起こしているので語る資格はあると思っているのですが、この場面において上司に求められることは2点だけ。



     



    失敗の影響度合いを算定し、必要な対策を講じる。



    失敗に至った理由を明確にし、以後同じ失敗が発生しないための再現性を組織で作っていく。



     



    改めて文章にすると、そもそも感情を乗せる必要性は1ミリもないわけです。



    つまり怒っていること自体、怒っている側のエゴの押し付けだということですね



     



    こんな感じで色んな思考実験(と言うには大袈裟ですが)を考えて、理屈で腹落ちさせちゃうと、自分の人生において「怒」の登場回数はほとんどなくなります。



    僕がほぼそうなっているので、実証済みです



     



    「怒」が少ない生き方、結構快適ですよ。



     



    世界



    世界の皆さん、こんにちは





     





    先日、ラーメン店でカウンターに座っていたら、若いアルバイトの方が冷水の入ったピッチャーを倒してしまい、僕の右膝から下がズブ濡れになる事態に遭遇しました。





     





    こういうのって映画とかドラマのワンシーンでよくありますよね。





    悪役の素行の悪さを表現するために使われていることが多い演出かなと思います。





    「何してくれてんだぁ〜」って店員さんに因縁をつける構図ですよね。





     





    格好つけるわけではないのですが、こういうとき、僕は1ミリもイラッとしないんですよね





     





    そもそもの大前提として、





    「悪意のない不可抗力」ですよね





     





    さらに付随して、





     





    ただの水、衣類が変色することもない





    冷水なので火傷もしていない





    →(実害0じゃん)





     





    当人が丁寧に謝罪してくれた





    その監督者であるオーナーも謝罪してくれた





    →(すごく丁寧なお店、また来たいな)





     





    高校生くらいであろうアルバイトの方の1つの社会経験になったかも





    →(えっ、むしろ他者や社会にプラスかも!?)





     





    って本気で思います。





    超・前向き思考なのは自他共に認める僕の長所です。





     





    詰まるところ、この事象で怒る人って文字の如く「怒」の感情が前面に出ていると思うのですが、





    喜怒哀楽の中で「怒」だけは自分でコントローラブルにできた方が幸福度高いと思うんですよね





     





    自分や大切な人が、明確な悪意に基づいて心身を傷つけられる場合には、「怒」を発生させるべきだと思います‍♂️





    悪意の発信源に対して大きな抑止力になりますから。





     





    でも、それ以外の大多数の場面(つまり悪意がない場合や明らかな不可抗力)で、「怒」を発生させる必要ってないと思うんですよね。





    いや、本当に!!!





     





     





    場面は変わって、どこかのオフィス





     





    上司が部下に向かって大声で叱責しています。





    上司は顔を真っ赤にして、ついには部下の人間性まで否定しはじめました。





    これも日常でよく見る場面ですね‍‍‍





     





    起点として、部下が何か職務上の失敗をしたのは間違いないでしょう。





    ただし、そこに上司の「怒」の感情を乗せる必要は果たしてあるのでしょうか?





     





    僕も曲がりなりに自分で部下を抱えて事業を起こしているので語る資格はあると思っているのですが、この場面において上司に求められることは2点だけ。





     





    失敗の影響度合いを算定し、必要な対策を講じる。





    失敗に至った理由を明確にし、以後同じ失敗が発生しないための再現性を組織で作っていく。





     





    改めて文章にすると、そもそも感情を乗せる必要性は1ミリもないわけです。





    つまり怒っていること自体、怒っている側のエゴの押し付けだということですね





     





    こんな感じで色んな思考実験(と言うには大袈裟ですが)を考えて、理屈で腹落ちさせちゃうと、自分の人生において「怒」の登場回数はほとんどなくなります。





    僕がほぼそうなっているので、実証済みです





     





    「怒」が少ない生き方、結構快適ですよ。





     





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