世界の皆さん、こんにちは
先日、不安ちゃんの正体についての日記を書きました。
色んな感想をありがとうございます。
日記を読んでの感想を教えていただけるのは、とても嬉しいです。
今、少し時間があったので、図書館で読書をしていました。
図書館の自習室や閲覧室ってとても静かで、みんな本と向き合っていますよね。
学生の頃も勉強するためによく利用していました。
そこには何人もの人がいるんだけど、みんな本と向き合っていて、他人に興味を持たない。
まるで自分がその場所に1人だけのような感覚になります。
でも、そこには確かに他者の存在がある。安心感。
なんだかそんなプレミアムな場所だな、と個人的には思います。
そんな環境で今日も日記を書きますね。
さて、不安ちゃんとの向き合い方について改めて書きたいと思います。
先日の日記でもいくつか例をあげましたが、僕は不安ちゃんが1番よく見えるようになる環境は、死生観と向き合う時だと思います。
より具体的に言うなら、余命を宣告された時ですね。
僕の母は病気で55歳のときに亡くなったのですが、余命を宣告されてからその命が尽きる瞬間まで、自分の人生を全うしました。
素晴らしい生き様だったと思います。
明日、自分が死ぬと分かったら何をするか?
これってすごく大事な視点で、不安ちゃんの1番の利用価値はここにあると思います。
明日、自分が死ぬと分かったら何をしますか?
僕は、
会社勤めしていた時の同期5人組に会って
学生時代からの仲良し5人組に会って
大好きな叔母と叔父に会って
実家に帰って
母のお墓参りをして
親兄弟と話して
実家のソファーの上に座って
実家の猫を膝の上で撫でながら
1人で自分の人生を振り返って
・・・息を引き取れたらいいなと思います。
もっと会いたい人はもちろん沢山いますが、24時間という限られた時間でと考えると、これが限界かなとも思います。
見ての通り、僕は何人かの人に会いたいということが中心でした。
人によっては、やりたかったことを経験をしたい、全財産使って豪遊したい、美味しいものをひたすら食べたい、ずっと好きだった人に気持ちを伝えたい・・・色んな叶えたいことがあると思います。
もし、僕が先に述べた会いたい人たちに会うことが難しいと分かった時、どうしたら会えるのか不安になると思います。
どんな手を使っても会いに行こうと試みますが、本当に会えるのかどうか不安になると思います。
だって、会えなかったら自分は後悔して死んでいくから。
不安ちゃん、この子は、自分がどうなりたくないかを教えてくれます。
逆に言うと、自分がどう在りたいか、それを教えてくれる子でもあります。
僕は自分の最後の日をイメージした時、
自分は物やお金で満たされる人間ではないのだと気がつきました。
最後の日に強いてお金を使う場面があるとしたら、会いたい人達に会うために最短で行ける手段があるなら、そこに糸目は付けないです。
自分の人生において、大事な人たちと過ごす時間が少しでも多くあってほしい。
それが僕にとっての幸せの根源にある価値観だと自覚しています。
長くなりましたが、不安ちゃんが見える環境とは、自分が望んでいない未来が見えているということです。
それを裏返せば、自分望む未来、それがわかります。
皆さんもぜひ、自分の最後の日、どう過ごしたいかを考えてみてください。
あまり深く考えすぎず、直感で。
漠然としていたり、抽象的だったり、フワッとしていたり、世間一般の価値観に基づいていたり・・・そうやってなんとなく思い描いていたものではなく、あなたが本当に大事にしたいものがより明確にわかるはずです。
そこに気づけたら今度は、最後の日→最後の一週間→最後の1ヶ月→最後の1年、と伸ばしていってみてください。
その中に登場する人や物、あるいは経験は、あなたの人生にとって大切にしたいことです。
あなたが残りの人生で叶えたいこと、あなたの幸せのヒント、それはきっとそこに隠れています。
そして日常的に現れる小さな不安ちゃん達。
この子達も同じです。
不安ちゃんが見えるということは、そっちの方向へあなたは行きたくないのです。
だったら、今何をするべきか?
その答えを出すのはそう難しくないはずです。
世界
P.S.
本業の都合で年内は基本的にお休みとしております。
ご都合が合えばご予約可能な日時もございますので、XのDMよりお問い合わせくださいませ。
世界の皆さん、こんにちは
先日、不安ちゃんの正体についての日記を書きました。
色んな感想をありがとうございます。
日記を読んでの感想を教えていただけるのは、とても嬉しいです。
今、少し時間があったので、図書館で読書をしていました。
図書館の自習室や閲覧室ってとても静かで、みんな本と向き合っていますよね。
学生の頃も勉強するためによく利用していました。
そこには何人もの人がいるんだけど、みんな本と向き合っていて、他人に興味を持たない。
まるで自分がその場所に1人だけのような感覚になります。
でも、そこには確かに他者の存在がある。安心感。
なんだかそんなプレミアムな場所だな、と個人的には思います。
そんな環境で今日も日記を書きますね。
さて、不安ちゃんとの向き合い方について改めて書きたいと思います。
先日の日記でもいくつか例をあげましたが、僕は不安ちゃんが1番よく見えるようになる環境は、死生観と向き合う時だと思います。
より具体的に言うなら、余命を宣告された時ですね。
僕の母は病気で55歳のときに亡くなったのですが、余命を宣告されてからその命が尽きる瞬間まで、自分の人生を全うしました。
素晴らしい生き様だったと思います。
明日、自分が死ぬと分かったら何をするか?
これってすごく大事な視点で、不安ちゃんの1番の利用価値はここにあると思います。
明日、自分が死ぬと分かったら何をしますか?
僕は、
会社勤めしていた時の同期5人組に会って
学生時代からの仲良し5人組に会って
大好きな叔母と叔父に会って
実家に帰って
母のお墓参りをして
親兄弟と話して
実家のソファーの上に座って
実家の猫を膝の上で撫でながら
1人で自分の人生を振り返って
・・・息を引き取れたらいいなと思います。
もっと会いたい人はもちろん沢山いますが、24時間という限られた時間でと考えると、これが限界かなとも思います。
見ての通り、僕は何人かの人に会いたいということが中心でした。
人によっては、やりたかったことを経験をしたい、全財産使って豪遊したい、美味しいものをひたすら食べたい、ずっと好きだった人に気持ちを伝えたい・・・色んな叶えたいことがあると思います。
もし、僕が先に述べた会いたい人たちに会うことが難しいと分かった時、どうしたら会えるのか不安になると思います。
どんな手を使っても会いに行こうと試みますが、本当に会えるのかどうか不安になると思います。
だって、会えなかったら自分は後悔して死んでいくから。
不安ちゃん、この子は、自分がどうなりたくないかを教えてくれます。
逆に言うと、自分がどう在りたいか、それを教えてくれる子でもあります。
僕は自分の最後の日をイメージした時、
自分は物やお金で満たされる人間ではないのだと気がつきました。
最後の日に強いてお金を使う場面があるとしたら、会いたい人達に会うために最短で行ける手段があるなら、そこに糸目は付けないです。
自分の人生において、大事な人たちと過ごす時間が少しでも多くあってほしい。
それが僕にとっての幸せの根源にある価値観だと自覚しています。
長くなりましたが、不安ちゃんが見える環境とは、自分が望んでいない未来が見えているということです。
それを裏返せば、自分望む未来、それがわかります。
皆さんもぜひ、自分の最後の日、どう過ごしたいかを考えてみてください。
あまり深く考えすぎず、直感で。
漠然としていたり、抽象的だったり、フワッとしていたり、世間一般の価値観に基づいていたり・・・そうやってなんとなく思い描いていたものではなく、あなたが本当に大事にしたいものがより明確にわかるはずです。
そこに気づけたら今度は、最後の日→最後の一週間→最後の1ヶ月→最後の1年、と伸ばしていってみてください。
その中に登場する人や物、あるいは経験は、あなたの人生にとって大切にしたいことです。
あなたが残りの人生で叶えたいこと、あなたの幸せのヒント、それはきっとそこに隠れています。
そして日常的に現れる小さな不安ちゃん達。
この子達も同じです。
不安ちゃんが見えるということは、そっちの方向へあなたは行きたくないのです。
だったら、今何をするべきか?
その答えを出すのはそう難しくないはずです。
世界
P.S.
本業の都合で年内は基本的にお休みとしております。
ご都合が合えばご予約可能な日時もございますので、XのDMよりお問い合わせくださいませ。