世界の皆さん、生殺与奪の権を他人に握らせるな
大ヒットしたアニメーション作品「鬼滅の刃」に登場するキャラクター「冨岡義勇」のセリフです。
熟語として昔からある言葉だそうですが、この作品の引用から言葉の意味を初めて知った方も多いのではないでしょうか?
僕もその一人です。
最初は敵対し出会ってしまった冨岡と主人公の炭治郎。
(のちに冨岡は主人公の良き理解者となっていきます。)
炭治郎が鬼となった妹を殺そうとする冨岡に土下座して彼女の命乞いをする際、その姿に無力だった頃の自分を重ねた冨岡が言い放った台詞。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」
手厳しくも愛を感じる一声ですね。
こんなの現実世界で面と向かって言われたら、萎縮してしまいますが笑
鬼に来てもらっては困りますが、言葉だけを現実世界に持って帰ってきて、その意味するところを少し考えたいなと思います。
命のやり取りだと重すぎるのでもう少し軽く、普段の日常生活に置き換えると、要は「他人の選択で自分の生き方を左右されるな」ってことですよね。
少しニュアンスは違いますが、「鶴の一声」の相手方に置き換えると近い意味になるような気もします。
とて、社会生活を営むにあたっては必ず他者からの恩恵がなければ成り立たないわけであって。
その恩恵は特定の個人に対する意図がなくとも、結果としては選択が影響を及ぼしたものであって。
どの尺度で捉えるかによりますが、僕たちは常に他者に人生の一部を預け、預けられている、という状態が普通なのかなとも思います。
じゃあ言葉の前提が間違ってない?ってなりそうですが、
言葉の本質としては、
「自分で選択できる余裕を持っておけ」
ということかなと思います。
以下の2パターンを比較した場合、後者の方が選択肢に余裕があって、ベストじゃなくてもベターな選択はできるかもね、って言うことです。
・Aさんの選択に左右される①の道しか進めない人
・いずれか3つの道から選ぶことができる人
Aさんの選択に左右される①の道
Bさんの選択に左右される②の道
Cさんの選択に左右される③の道
選択肢が多ければ多いほど人生のリスクヘッジになると思います。
もちろん、目の前のことに熱中して、後先考えずにひたすら突き進むことも時には大事だと思います。
たまに立ち止まって、自分が進んでいる先に望むものがあるのか?と見直すと、もっと近道が見つかることもあるかもしれません。
うーーーーん、書いててまためんどくさいこと言ってんなぁ!って自分で思っちゃいました
それでは、良い1日を
世界
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