世界の皆さん、こんばんは
ひめゆり平和祈念資料館へ行ってきました。
歴史の授業で習ったとおり、太平洋戦争時、米軍と日本軍は沖縄での壮絶な地上戦を行なっていますよね。
記録映像を観ましたが、軍艦と戦闘機による猛烈な集中砲火で沖縄の大地は地獄絵図と化します。
この戦闘による沖縄県民の死者は12万人と言われています。
日本軍は兵力不足を補うため、沖縄県民を軍へ動員し、10代の学生も戦場に送り込みました。
沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校からは生徒と教師240名が看護要員として動員、そのうち136名が死亡します。
陸軍病院に動員された女学生たちですが、病院と言ってもそこは複数の豪で作られた劣悪な環境で、爆撃や弾丸が飛び交う前線です。
上記の2校の愛称が「ひめゆり」であったことから、戦後、彼女たちは「ひめゆり学徒隊」と呼ばれるようになります。
亡くなった学生達の遺影と、そのプロフィール、亡くなった理由までが一人一人記載してありました。
全員、10代の若い女性ばかりです。
彼女たちが抱いていた希望、生きたかった未来‥そんなことを思うと、目頭が熱くなりました。
僕の祖父も徴兵により満州へ出兵しています。
戦地へ赴く時、航路を分けて2隻の船が出航したそうですが、祖父が乗らなかった方の船は満州にたどり着く前に撃沈されたそうです。
祖父は満州で終戦を迎え、捕虜として勾留されたのち、半年後にようやく帰国することができたそうです。
今、僕達がこうして生きて何気なく過ごしている今日は、生きられなかった人たちが生きたかった明日なんですよね。
旅行から家へ帰ってきましたただいま
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