満たされない気持ちや不満から逃れるために遊んでいた時期があります。
都合さえつけば誰でも良かった
1人でいることがしんどかった
肌を重ねている時だけは忘れられた
でもそれは喉が渇いた時に炭酸ジュースを飲むようなもので、その場の喉ごしは良くても本当に渇きが癒えることはなかったように思います。
ただの水やお茶のように、当たり前にそこにあっていつでも手にできるようなものが美味しいと感じるようになるのは、自由に買い食いができるようになった若い時よりも、身体を大事にするようになった最近のように思います。
エナジードリンクのような刺激は出せないかもしれないけれど、
本当に身体に染みるおいしい水のような存在というのは憧れますね。